グローバルガバナンスの夜明け
ICANNのあるべき姿を探る

『インターネットマガジン』連載第15回
(2002年11月)


ICANNの向こうに何が見える?

 グローバルに広がるインターネットのあり方をめぐる問いを、ドメイン名やIPアドレスを管理する国際組織ICANNの誕生からその「改革」にいたる歩みを追いながら考えてきたこの連載も、上海会議で「改革案」が通過したのを機会に、ひとまず終了とさせていただく。これまで支えてくださった読者諸兄姉に、まずお礼を申し上げたい。
 しかし、これでICANNをめぐって生じた問題群が解決されたわけではない。

 

「改革」案は採択されたが

 ICANNは、10月末上海で会議を開き、その組織改革について関係者による討議を経て、最終日の理事会で「進化改革委員会(ERC)」による定款の全面改訂最終案をほぼ原案通り受け入れ、改訂に必要な3分の2を超える賛成をもって採択した。新組織への具体的な移行方法は、12月にアムステルダムで開催される年次総会で決め、それを受けて正式に改組される運びとなった。

 なお3月のアクラ会議から、会場にプロの速記者が配備され、理事会とその前日のパブリック・フォーラムの全発言がリアルタイムで大画面に表示され、終了後ICANNのウェブサイトに掲載されるようになった。英語が苦手な人でも発言内容が確認でき、会場にいなかった人もだれがどう発言したのか正確に知ることができる。以下は合計200ページ近いその記録1も参照しつつ書いた。

 

RIRとccTLDについては「先送り」

 表面的には圧倒的多数で決議された改革案だが、実際には大きな問題点を内包し、その解決は「先送り」にして、とりあえず合意できるものを通したというのが実態だ。

 決定された新定款の大要は前回報告した通りで、はじめに「使命」と「中核となる価値」を定義し、続いてその最高決定機関として理事会の権限、アカウンタビリティ、透明性の確保、その構成、理事指名委員会について記されている。

 問題はその後で、国別ドメイン名レジストリー(ccTLD)とIPアドレスを管理運用する地域レジストリー(RIR)について、ICANN内の組織としての位置づけが明確に決められなかったのだ。新定款では、RIRを代表するASO(アドレス支持組織)の機能や権限についてはこれまでの条項がそのまま残され、「今後の検討による」との注が付いた。つまり、具体的な内容は確定しないまま、持ち越しとされた。この点は理事会でも議論となり、採決の結果10対7、棄権1と小差で通過した。

 ccTLDにいたっては、新定款では「CNSO(国別ネーム支持組織)」と書かれたタイトル以外の条項は一切空白で、「後送」とされた。これは、ccTLD側が新しい組織づくりの途上にあって、明確な姿を描けていないことが背景にあるが、明らかに中途半端だ。

 懸案である一般会員=ユーザー参加については、私も参加したALAC(At Large Advisory Committee)アシスタンス・グループの提案がほぼ採用された。追加的に求めた、各アドバイザリー委員会やタスクフォースへの参加や経費の負担も、一般論としては前向きに認められた。

 しかし、当初の理事の半数=9名を選挙で選出する制度が廃止され、理事会には議決権をもたないアドバイザリー1名を送れるだけとなった。選挙による選出と議決権をもつ理事への復活を求める発言は繰り返し聞かれた。今後は、アジア地域でICANNに関心をもつユーザーの組織を立ち上げ、実質的な議論に参加していくことが課題となる。容易ではないが、重要なことだ。

 ERCによる改革案の内容とその進め方をもっとも厳しく批判したグループが、アジア太平洋、北米、ヨーロッパなどRIRの連合だった。彼らはIPアドレスの管理方針の決定と運用は、ICANNではなく自分たちに委ねることを求めてきた。しかし、ERCはこの要求をまったく無視したとして、RIR は9月に怒りの声明を出し、10月にERC案に対置してアドレス管理についての独自提案を発表した。上海で新たに正式認知された中南米のRIRも加わったこの提案は、ICANNの外側に独立組織として「インターネット番号資源登録機関(Number Resource Registry=NRR)」を新たに設立し、アドレス管理の方針決定と運用はICANNの権限の外に移してNRRが担当し、ICANNの役割は、NRRの決定が適切かどうかを外から「評価・監視」するものに限定するとしている。

 RIRによれば、これは「反ICANN」を意図するものではないが、アドレス管理は自分たちがグローバルな方針決定と調整を行うほうがより適切な運用ができると主張する。ERCとRIRの間では上海でも舞台裏で交渉が続けられたが、詳細は明らかになっていない。

 ccTLDのグループは、ERCに協力して新組織の草案を準備するアシスタンス・グループを立ち上げたが、上海会議には具体案は間に合わなかった。彼らのなかには、もしICANNがCNSOに十分な権限を与えないのであれば、ICANNの内部組織にとどまる必要はなく、独自の組織となるか、あるいはITU(国際電気通信連合)などの別の国際組織と連携するという意見もある。もちろん、こうした意見には「交渉術」としての脅かしの色彩もあるが、あえてそれを述べるほど、ICANNとERCへの不信は強い。彼らはまたRIRの改革案への支持を表明している。

 こうして、RIRとccTLDは、いわば「半独立」の気配をみせている。

 一方、汎用ドメインネームを扱うGNSO(汎用ネーム支持組織)については、その構成、機能と権限などが詳細に定められた。採択された改革案では、ドメイン名の登録管理を行う事業者でICANNとの契約をもつレジストリーとレジストラーを、他の一般的な利害をもつISPやビジネスユーザーと対等の立場を与えることにしたが、これはレジストリーとレジストラー側からの要求を入れたもので、彼らの満足度は高い。一方、これまでDNSOのなかで少数派だった非営利組織グループなどは、自分たちの声が反映されにくい構造になったとして不満が強い。

 

自律・分散・協調原理

 こうした問題点は残りつつも、ともかく新定款は採択され、「改革」は具体化に向かうことになった。ここで、一年半の連載のまとめとして、ICANNが何を問いかけているのか、あらためて考えてみたい。

 ICANNのあり方について議論することは、結局のところ、インターネットの本質をどう考え、どうあるべきかを詰めることに帰結する。

 インターネット全体について、ICANNも含めてどこか特定の組織が集中管理しているわけではけっしてない。技術の標準化や運用など、分野別にIFTFやIAB、W3Cなどをはじめとする多数の組織・団体が司っているが、それらの組織の間には緩やかな協力・連携はあっても、法的・公的な関係はほとんど存在していない。そこに「自律・分散・協調」という仕組みが巧みに機能している。この事実をどうみるかがポイントだ。

 

ICANNへの期待と批判・不信

 ICANNはドメイン名とIPアドレスなどの技術的な識別子を管理・運用する組織に過ぎず、ネット全体のガバナンス問題からみれば、ごく一部、氷山の一角に過ぎない。にもかかわらず、ICANNになぜこれほど世界中の期待と注目が集まったのか。そしてその反動としての批判や不信が累積したのか。それには相応の理由がある。

 まず政治的に大きな要素として、ICANN設立のプロセスで、米国政府、ホワイトハウスが直接介入し、大きな役割を果たしたことがあげられる。クリントンとともに「情報スーパーハイウェー政策」を華々しく掲げて当選したゴア副大統領が、二期目の97年7月、「ネット上での商取引は非課税にし、ニューエコノミーの花を開かせる」という政策を打ち上げた際、「ドメイン名の管理のあり方も見直す」として、米国政府の公式の「介入」が始まった。

 その背後に、インターネット・コミュニティの限られたメンバーによる管理体制を批判する人々のロビー活動があったことは想像に難くない。しかし、経過はともあれ、いったんホワイトハウスが動き出したとなると、そのこと自体が重さをもってしまう。この件では、アイラ・マガジナー大統領上級顧問という、米政権の高官が直接担当したことで、世界の注目はよけい高まった。

 マガジナー氏は「従来の世界にはなかったタイプの、民間中心の非政府・非営利国際組織を新しくつくろう」と、理想主義的な方針を高らかに打ち出した。たしかにインターネットは国家・政府の機能を超越し、ボーダーレスな世界、サイバースペースをつくりだす。サイバースペースは、これまでの国際社会の管理・統治のあり方と異なる方法・組織を求める。ICANNはいわば人類にとってその最初の実験の場だった。

 彼が中心になってまとめた最初の方針「グリーンペーパー」は、あまりに米国中心過ぎるとして、世界中から批判の声が集中した。そこで、米国政府の介入の程度をより薄めた「ホワイトペーパー」が出された。このホワイトペーパーを受けて、ドメイン名とIPアドレスを管理するグローバルな新組織が世界中の関係者の合意をもとに形成され、米国政府の認知を受けて設立されるはずだった。97年の夏のことだった。

 

見切り発車による「原罪」

 ところが、世界中の関係者による議論が集中的に行われ、合意寸前まできたときに、一部関係者がいわば「見切り発車」的に、強引にICANNを設立してしまった。このことが、後に「原罪」として効いてくる。あの時点でなぜ彼らが無理やり新組織を設立したのか、その本当の真相は明らかにされていない。

 米国政府は新設されたICANNに対して、関係者の合意が十分成立してないとして、開かれた会員制度の実現を軸に、「条件付き」で認知を与えた。ICANNはこうして当初から中途半端な誕生の道をたどり、「実験」に乗り出していった。

 残念ながら、この実験は順調に進んだとはいえなかった。多くの人々が真摯な努力、労力、膨大な時間と費用を注いだが、実現できたことは限られ、その陰に関係者同士の対立、怒り、批判、絶望、離反が蓄積されていった。技術的な管理に徹する組織というにはあまりにも人間臭い非難と不満が渦巻いてきた。

 その理由としては、上記の「原罪」を引きずったことが大きいが、それ以外にも、初期の理事、そしてCEO、法律顧問、政策担当などいわゆる「スタッフ」のとった態度も大きかった。端的にいえば、彼らはきわめて「アロガント(傲慢)」だった。いくら意見を言ってもまともに聞こうとしない、非礼を承知で切り捨てる、答えない、法律論で煙にまく、といった状況が次々に続いた。理事の多くが、電話業界や大企業の出身者など、いわゆる「インターネット・コミュニティ」の外から選ばれたため、「文化摩擦」も繰りかえされた。

 また、ICANNに関する多くのメーリングリストがあるが、その多くは特定少数の人々が発言を繰り返して場を独占し、しばしば「フレーミング」と呼ばれる一方的な非難、感情論の応酬になってしまう。これに理事、スタッフも巻き込まれていった。オープンなリストで生産的な議論を行うことはきわめて難しい。しかし、クローズなリストにすることは、それ自体が、ICANNの、そしてインターネットの基本理念であるオープンな環境の尊重と反してしまう。このジレンマは、容易なことでは解決できないまま今日に至っている。

 

ICANNの実績

 設立から4年余りのICANNが実現したものはなんだったのか。具体的にいえば、まずアメリカ政府から認知を受けたカリフォルニア州法下の非営利法人として発足し、「.com」の登録代理業務に競争を導入し、NSI社(当時)の独占の一角に風穴をあけた2。同時に、登録商標をはじめ、法的紛争が続発していたドメイン名について「統一紛争処理方式」をまとめた。これを受けて、紛争の多くがまず法廷外の仲裁組織によって裁定される仕組みができ、実際に多用されるようになった。

 次に、「.com」以外の汎用ドメイン名として、「.biz」「.info」などのトップレベル・ドメインを新しく導入し、ベリサイン社以外の企業組織に管轄権を認め、「.com」との競争を作り出した。こうした取り組みの結果、ドメイン名の登録料金はかなり値下がりした。最近では「.org」をベリサイン社から他組織に移管することにし、入札の結果インターネット協会(ISOC)が選ばれた。

 

国際化ドメインの取り組み

 いま取り組まれている問題で、日本やアジアの人間にとくに関係が深いのは、「ドメイン名の国際化」だ。これまでドメイン名には英文字=アスキー文字しか使えなかったが、漢字をはじめタイ、ベトナム、インドなどアスキー以外の世界各国の文字も使えるようにしようというもので、技術的にはIETFのワーキンググループで標準化の取り組みが行われ、10月に最終案がまとまり、正式の標準案として発表された3。ただし、これはあくまで文字列を技術的にどう標準とするかの案で、それを使っていつだれがどういう形で登録・管理サービスを行うのかという実際の運用管理体制については、IETFではなく、別の組織が中心になってコーディネーションする必要が残っている。ICANNもその有力候補である。

 これらが主な実績といえるが、4年あまりの「格闘」の成果がこれだけかといわれれば、たしかに寂しいものがある。組織づくりそのものに忙殺され、内実に乏しいという感は否定できない。

 

米国政府は手を引くのか?

 ドメイン名がシステムとして成り立つ根幹には、文字通り「ルートサーバー・システム」がある。正確に言うと、ルートサーバーは全世界13箇所に分散配置され、ICANNは米国政府との契約のもとで、そのマスターともいえる「オーソラティブ・ルートサーバー」を直接管理・運用し、その権限がICANNの正統性の根拠ともなっている。ただし、これまでの連載でも述べてきたが、ICANNは全面的な管理権をもっているわけではなく、あくまで米国政府との合意・承認の下で、運用管理業務を受託している存在だ。

 この米国政府との合意は、毎年9月末が期限となっており、今年も一年間延長された。今回の延長にあたって、米国政府はICANNのこれまでの実績と改革への努力を認めつつ、十分満足しているとはいえず、ルートサーバー・システムの強化、ICANNへの世界のインターネット・コミュニティのよりオープンで実質的な参加の保証などを求めている。

 ICANNが設立される前、マガジナー氏は、「国際非営利組織がきちんとでき次第、米国政府はできるだけ速やかにドメイン名管理から手を引く」と明言した。しかし、設立後4年以上が過ぎた現在、米国政府にICANNへの法的な支配権を放棄する姿勢はまったく見られない。

 その理由は、次の三つの考えが複合していると考えられる。

 第一に、混迷する一般会員制度問題に見られるように、ICANNは常に対立と批判が続き、世界中の関係者から十分な信頼を獲得できていないことだ。米国政府は現状のままICANNにフリーハンドを与えて「独立」させるのはリスクが大きすぎると考えているようだ。

 第二に、昨年の9月11日の同時多発テロ事件以降の展開として、グローバルな社会インフラとなったインターネットの根幹を支えるシステムをテロ攻撃から守り、安定運用を確保することには重要な意義・利害があると考えるからだ。

 第三は、ICANNへの管轄権を確保することは、米国の国益にとってプラスであり、他国への優位性を確保するカードと考えられるからだ。

 IETFをはじめとするインターネット・コミュニティのコアメンバーの間には、政府が必要以上に関与することを嫌う思想は根強い。多くのビジネス組織も同様だ。リン「改革」案は、「ICANNへの政府の関与を強め、官民の新しいパートナーシップを」と呼びかけたが、多くの人々の不評をかって受け入れられなかった。

 他方、現在のICANNのあり方を強く批判する人々の間には、少数だが「こんなICANNは否定して、むしろITU(国際電気通信連合)の管轄にしたほうがましだ」という意見もある。ITUはICANNがうまくいってないとみて、自分たちのプレゼンスを高める絶好の好機ととらえ、「協力を惜しまない」と手を差し伸べようとしている。

 米国政府はこうした動きを承知しつつ、インターネットの根幹を手放すことはマイナスと判断しているようだ。EUや日本、オーストラリアなどの各国政府も、究極的には自分たち政府が直接交渉できない非営利組織に全面移管されるよりは、交渉相手として米国政府が存在することを選択している。この点でも、ICANNは初期の「約束」を実現していない。

 こうして、ネットのグローバルなガバナンスの最初の本格的なモデルケースとして注目されてきたICANNは、不完全な「改革」を経て装いを変えようとしている。前例のない実験は、世界中から多くの理想主義的な人々を招いたが、実際には現実主義的な人々が支配するように変質してきたといえる。おそらくそれは、人間のつくる制度としては本質的に不可避なことなのだろう。しかし、その過程の一つ一つにかかわってきた当事者としては、苦い教訓が残るばかりだ。その向こうに何が見えるのだろうか。


1. www.icann.org/shanghai/index.html#31October (本文へ戻る)

2. その後、NSI社はベリサイン社に買収されたが、「.com」のレジストリー業務は保持したままだ。(本文へ戻る)

3. www1.ietf.org/mail-archive/ietf-announce/Current/msg20879.html (本文へ戻る)


『インターネットマガジン』掲載一覧
第15回 ICANNの向こうに何が見える? 2002.11.10
第14回 大詰めにきた「改革」をめぐって 2002.10.14
第13回 迷走するICANN、改革の決定が迫る 2002.9.5
第12回 文字コードから見えてくる途上国のデジタルデバイド問題 2002.8.8
第11回 ICANNの進化 2002.7.12
第10回 「改革」の行方とICANNの意義 2002.6.5
第9回  ICANNはダウンサイズを 2002.5.8
第8回  ガーナの暑い風「改革」の行方は 2002.4.2
第7回  「実験」は失敗か? ICANNトップ、会員制度を否定、政府依存を提案 2002.3.8
第6回  誕生したICANNとその「原罪」 2002.2.3
第5回  ICANNの誕生への経緯 その4 2001.12.25
第4回  ICANNの誕生への経緯 その3 2001.11.19
第3回  ICANNの誕生への経緯 その2 2001.10.31
第2回  ICANNの誕生への経緯 その1 2001.10.03
第1回  ICANN会員制度と選挙の混迷に学ぶ 2001.8.21



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