はじめに
アジアネットワーク研究所は、1998年12月、当研究所の顧問を務めていただいている公文俊平国際大学GLOCOM所長をマレーシアに招待し、当地のMSC(マルチメディア・スーパーコリドール)構想の進捗状況を視察していただくと同時に、マレーシアの情報化政策の推進にあたる当事者との間での交流、議論をしていただきました。
また、マレーシア在住の日系企業の皆さんにも、この機会に新しい情報化の流れについて、公文先生の知見をぜひ聞いていただきたく、JETROクアラルンプール事務所との共催という形で、講演会を実現することができました
以下は、その講演記録です。
米国の情報通信革命の爆発と、コンピューターの2000年問題
今日お話申し上げたいことは基本的には二つです。この9月に私はしばらくぶりにアメリカを回っていろんな人と会って話をしてきました。その時にそれまで考えていたことの一つは思っていたとおりであったということです。それは昨年の夏ぐらいから情報通信革命があきらかに新しい段階に入って、アメリカでは爆発的な展開がみられるということの確認でした。
それからもう一つは実は知ってはいたけれど、なんだ大したことないと思っていた、いわゆる2000年問題がきわめて深刻であって、話した限りほとんどの人が頭を抱えているという状態で改めて再認識をして帰ってきたということです。
今日は主にその辺をお話するつもりであります。順序として最初に比較的長期的な見通しとして、どう考えているかを申し上げるところから入ります。
情報化:近代社会の第三局面への移行
私は21世紀の社会を情報社会ととらえています。これはいろんな人が言う言葉ですが、この情報社会の意味はトフラーの言う第三の波、産業化社会を超えるような第三の波の到来に基づく、大きな人類史的な社会変化であるということではない、むしろ数百年前から始まった近代社会の中でまだ変化が進行していく、近代社会の第三局面への移行が情報化であるという立場を取っています。
軍事化、産業化、情報化
近代化の三つの局面の最初は軍事革命=軍事化であり、それに伴って近代国家が出てきて戦争とか植民地の獲得による国威の増進発揚競争を始めた。これが第一局面、いわば人々の軍事的エンパワーメントの局面です。
それから18世紀の終わり頃から今度は経済的なエンパワーメント、つまり産業革命が始まって、今日私どもが知っているような近代的産業、企業が国家と並んで出現し、いわゆる利潤の追求競争、あるいは富のゲームを行うようになっていったのが第二局面です。
近年、とりわけ20世紀の70年代以降は第三のエンパワーメント、軍事的、経済的に続いて、知的なエンパワーメントが始り、その中で第三のタイプの新しい組織が生まれ、新しい競争的な活動が生まれるようになってくると考えています。
新しいタイプの組織は、今はまだきちんとした名前が与えられていない、国家、あるいは政府でもなければ企業でもないという消極的な意味で、NGOとかNPOと皆さん呼んでいますけれども、積極的には何かというところが問題であります。
積極的には知的なエンパワーメントを通じて知的な影響力の獲得発揮に努めるグループ、すなわち「智業」がたくさん生まれてくるようになると考えています。
それに伴って人々は軍事化の時代には国民皆兵、兵士でありました。それから産業化の時代にはみんな会社に就職して物を作ったり売ったりするようになり、今度の情報化の時代はみんなNGO、NPO、あるいは智業のメンバーになって情報や知識を作り出したり、普及したり、あるいは分けあったりするようになる。これが情報社会です。
現在は第三次産業革命
しかしながら同時に産業社会がまだ終わるわけではない。軍事化の方はある意味では終わったと言ってもいいと思います。戦争が国際的な正統性を失い、自衛の戦争しか認められなくなったのですが産業社会における富の獲得、誇示の競争はまだ正統性を失っていません。いないどころか、さらに第三の新しい段階に突入しつつある。それを第三次産業革命と私は呼んでおります。その中心が情報革命でして、産業革命は歴史を振り返りますと100年毎にほぼ、100年の幅で起こっております。最初に軽工業中心の産業革命が起こり、それから19世紀の終わりに重化学工業中心の第二次産業革命がありまして、現在は第三次産業革命です。
そしてそれぞれの百年を二つに割ってみますと、前半がいわば突破(ブレイクスルー)の段階。後半が成熟(マチュレイション)の段階でありまして、前半に新しい技術、新しい産業、新しい経営組織が出てきて、後半では産業の生み出す製品が大衆的な需要を満たすようになって、人々のライフスタイルが変わります。
20世紀の例で言いますと、前半の突破で重化学工業が出来、まず軍事に利用され、後半では耐久消費財の大量生産になって、乗用車とか家電として広がって人々の生活を変えたわけです。
いまは第三次産業革命の突破段階が起こっているときです。その突破段階がおそらく70年代の中頃から2000年の20年代にわたって続くと思いますが、もう少し視野を長く取ってみますと、1950年代頃からもうすでに始まっていた、芽は出ていたといっていいと思います。
コンピュータについて見てみますと、最初の50年頃から始まったのはメインフレームコンピュータ中心の展開でした。メインフレームはいま大体世界で3万台ぐらい、あるいはオフコンその他を入れても1000万のオーダーでしかないと言われています。
70年代には、マイクロチップスの発明と共に、次の段階が始まって、これを通常私どもはパソコン、PCの波と考えているのですが、実際はPCよりもEC(エンベデド・チップス)、つまり埋め込みコンピュータの方が数が圧倒的に大きいと思います。PCはたかだか世界で3億台程度しかありませんが、埋め込みのチップは少なくとも500億、あるいは最近の推計では700億台もがいたるところにあって、我々の生活のすべてを支えているといっても過言ではありません。
メインフレームはどちらかというと事務作業、マネージメントの方に使われていますが、ECは制御活動、特に生産運輸、通信、総てのものに関わってくるということです。
現在は、埋め込みチップやパソコン中心の第二の波がそろそろ頂点にさしかかって、次に移ろうとしている段階であって、次の第三段階の情報通信革命の姿がいま見えてきております。仮にそれを「C&C」の二乗という変な言葉で呼んでおきます。
一方ではコミュニケーションとコンピューティング(C&C)、ついでに言えばブロードキャスティングが一体となってマージするネットワークがそこから生まれる。さらにもう一つのC&C。コミュニケーションだけではなくて、コラボレーション(共同作業)を人々が行うようなネットワークとして次は広がっていく。つまり単体としてのコンピュータではなくて大きなネットワークがそれ自身コンピュータでもあり、あるいはコミュニケーションの手段でもある。こういう時代に入っていくだろうと思うのです。
後で申し上げますが、残念ながらそこへの以降が非常にスムーズであると考えるわけにはいかない。ここに大きな断絶、あるいは移行上の一種の失敗、挫折があることは今のところほとんど不可避であると思われます。
情報化の本質=知的エンパワーメント
しかしそういうことがあってもそれを通して大きな流れとしての情報化が止まるわけではありません。そしてまた先ほど申し上げました智業(英語ではそれをインテルプライズと呼んではどうかと私は提案しています)、つまり国家や企業に代わる第三の新しいタイプの社会組織が台頭し、さらに普及し、そして人々はこの智業のメンバーという意味で智民、あるいは英語で申しますとネティズンになっていく。ちょうど産業社会の市民が生産者や消費者になるのと同じような意味で、情報社会のネティズンは情報知識の生産者であり、あるいはそれを通有、シェアする人々になるでしょう。そしてインターネットのようなネットワークを私は智場、インテルプレイスと呼んでいますけれども、何よりも智業や智民がそこでコミュニケーションやコラボレーションを行うための場として台頭し、普及していくのである。こういうことがポイントだろうと思います。
しかし大事なことは、情報社会においてはネティズンやインテルプライズのコミュニケーション、コラボレーションの場である智場が、同時にマーケットとしての役割も果たすようになる。あるいは行政サービスがそこで展開される場としても働くようになる。ここが電子商取引や電子政府の場にもなるということです。
しかしその逆はありません。これまでのマーケットが単純に電子化されていくと考えると間違いを犯すと思います。ここ数年、例えばプッシュテクノロジーが華々しく喧伝されてどこかに消えました。それから去年から今年にかけてはポータルという話が人口に膾炙(かいしゃ)してますけれども、多分またすーっと消えていくんだろうと思います。そういうものは本来コミュニケーション、コラボレーションの場としての智場をプラットホームとして商取引や行政を行っていくという考え方に十分立てていないがための、いわばせっかち、性急さの誤りではないかと思っています。
本格的マルチメディア時代
そういう中で、情報革命が第三段階に入りつつあるという兆候はすでに見えており、とりわけ去年の後半ぐらいから、明らかに新段階に入ったと言わざるを得ないと思います。
アメリカで申しますと96年から97年の前半ぐらいまでは新電気通信法の時代で、「情報ハイウェー五車線論」が公式のアメリカの連邦通信委員会の立場でありました。つまり電話とテレビとケーブルテレビ、それからセルラー電話、衛星の5つのメディアが米国のあらゆる家庭、オフィスに入っていくことが出来るポテンシャルをもっている。そればかりではない。この5つは互いに自分の壁を越えて相手の領域に進入して競争する、そういうポテンシャルがあるから大いに競争すればよい。そのための法的、制度的枠組みを新電気通信法で作ったのだと言ったんですが、言われたほどには競争は起こらず、大いに期待に反する事態になったわけです。
そこで当時のFCCの委員長のハントさんが結局業を煮やして辞任の直前になって行いました演説の中で五車線論を投げ棄て、本当に必要なことは、そういう既存の五車線がどうこうということではなくて、本来的にデーター通信のためのデディケーテッド・ネットワークを作ることであったんだ。コネクションレスでパケット交換型のネットワークを本格的に作ることが緊急の課題であったということにいま気がついた。これはみんなで力を合わせてやらなければ出来ないことだからやりましょうというお別れの演説をして彼は去っていったんです。
ちょうどその頃から、データ通信のトラフィックが爆発的に増えてきまして、3ヶ月で大体倍、つまり1年で10倍、3年で1000倍という速度で増えるようになってきました。それも需要だけではなくてワンテンポ遅れて供給も、アメリカの場合は爆発的に拡大した。最近はヨーロッパもそうです。つまり新世代通信企業と呼ばれる勢力がどんどん現れて光ファイバーを引きまくっている。その中の例えばクエスト社一社の一つのペアの光ファイバーがあればアメリカの電話需要は全部まかなえるといったすごい供給の拡大が起こってる。
つまり米国では非常な加速が始まったわけです。ちょうど同じ頃から日本は減速を始めまして、インターネットの普及率、あるいはパソコンの売れ行き、情報化投資で見ても、伸び率が下がってきた。ルーターなんかは売れ行きがばったり止まったと言いたいくらいに深刻な事態になっていると言われていますが、そういうギャップがあきらかになりました。
主役はIPネット
しかし、その中身を見てみますと、いわゆるマルチメディアと呼ばれていたものの主役はインターネットを基盤としたIPネットワークであることが明らかになってきたと思います。そこで私はIPネットワークとインターネットは区別して考える方がいいと思っています。つまりIPネットはインターネット・プロトコルを基盤とするネットワークの総称であり、このIPネットワークでは狭い意味でのインターネット的な電子メールを送ったりWEBももちろんできるわけですけれども、電話もできるし放送も出来る、そういうものであります。しかもこのIPネットワークのための技術の開発や、その利用、それから投資等々を行っているのは民間の企業、それも新しく出現しつつある企業であって、これまでのインターネットは政府、あるいは大学、研究機関が引っ張ってきましたが、92年以来のインターネットの商用化の流れの中でインターネットそのものの枠を越えて、IPネットワークが爆発的に広がるようになってきました。
しかし、その中心はネティズン(智民)あるいは智業が作り出す、知の分散システムの基本的なインフラになるという性格は依然として残るだろうと思います。そう思いますが、狭い意味での、これまでインターネットを引っ張ってきた、インターネットコミュニティーそのものがある意味で置去りにされかねないぐらい急速に、新しい展開が1997年の夏ぐらいあたりから起こっています。
例えばアメリカでは1996年10月に政府がネクストジェネレーション・インターネット・イニシアティブを発動させ、これは何億ドルかお金を出して新しい技術革新を推進する。それからインターネットのテストベッドを作る。スピードはギガビット台であると言っております。
あるいは大学や研究機関が集まって、コマーシャライズされたインターネットは面白くないから、もう1回自分たちが自由に使える、できればただで使えるインターネットを作りたいと言い出した。これを「インターネット2」と呼んでやっておりますけれども、これまたせいぜいでギガビット級のポイント・オブ・プレゼンスを持ち、技術的にはアビリーンがATMを提供し、クエストがソネットを提供する。その上でIPを流すという構造を持っております。
私の友人にペンシルバニア大学のデビット・ファーバー教授という大統領の情報諮問委員会の委員がいますが、彼が本当に苦笑をして言っているのは、「大学や政府の方が特に置去りにされてしまった。民間の企業を見てご覧、クエストは自分のところでギガじゃなくてその1000倍多いテラビットの回線を敷設してしまっている。そして彼らがいま目指しているのはペタビット、つまりさらにもう1000倍の容量のあるネットワークを作って提供することであり、それを支えるような光通信の技術を開発し商用化していくことなんだ。政府は2歩も3歩も遅れてしまった」という話です。あるいは大学が喜んで使うはずのインターネット2は、そういう面から見れば非常に遅れたおもちゃのようなものでしかないということになってしまっています。
日本のWIDEは政府よりも民間と大学が一緒になってインターネットを引っ張ってきてたわけですが、このWIDEも今年で最初の10年を終わってこれから次の10年に入るわけですけれども、はたしてWIDEがこれまで果たしてきた指導的な役割を果たし続けていくことができるかどうかというのは非常に興味深い問題であります。
特にアメリカで民間企業が新しい動きを見せていると言っても、その中心になっているほとんどの企業はつい2、3年前までは存在もしていなかった。あるいは存在していたとしてもほとんど名前も知られていなかった企業であります。他方ではこれまで存在していた企業は一斉に困難に直面している。DECはすでに他の会社に買われました。それからAT&Tは非常に悩んでいる。あるいは既存の地域電話会社がどこまで生き延びることが出来るだろうかというのが話題になっています。マイクロソフトも相当に危ないと私は思うんですけれども、PCの時代は終わろうとしているわけですから、次の波にマイクロソフトが乗ることが出来るかどうかというのは非常に興味深いことです。
革新者のディレンマ:突破期の産業
この中でハーバード大学のビジネススクールのクレイトン・クリステンセンという若いプロフェッサーが昨年非常に面白い本を出しました。イノベーターズ・ディレンマという題の本です。彼がここで打ち出した考え方が特に新興の通信企業ではバイブルのようになっています。この間も『WIRED』という雑誌がレベル3という新興企業のCEOのジム・クロウにインタビューしておりました、そのジム・クロウに何をしているかと聞くと、「私は朝3時に起きて本を読んでる」と答える。何の本を読んでいるんですかと聞くと、このクリステンセンの本を読んでるということをジム・クロウは言っています。実はその一月前、彼はあるカンファレンスにやってきて、そこでこの本のことを教わったらしいのですが、早速それを読んでいるわけであります。
クリステンセンが分析しているのは、例えばシアーズだとかDECとかIBMという会社がその繁栄の絶頂期に突然よろめき転落する、足をすくわれてしまうのはなぜかという問題です。一般的な説明としては、傲慢になったからだとか、怠けてしまったからだとか、あるいは大きくなりすぎて官僚主義になったというけれども、実際に調べてみるとそんなことはない。嘘である。それどころか、こういうエクセレントカンパニーは不断の革新投資を続け、そしてユーザーとの対話を怠らず、自分たちの製品の品質を上げていこうとして頑張り続けていた。
では何がいけなかったのか、問題はむしろ過剰品質にあった。あまりにも良くしすぎて、ユーザーの期待を越えて良くしてしまった。まさしく今のパソコンはそういうところがありますね。こんなに多機能でなくてもいいのにどんどんどんどん詰込んで、そのためにCPUのパワーがいくら上がってもソフトウエアで食ってしまうという妙なものを作ってしまっている。ほとんど奇形といいたいところがあります。
そこでクリステンセンは開発される技術に二通りのものがあるという仮説を持ち出しました。一つが存続技術(サステーニング・テクノロジー)、もう一つが破壊技術(ディスラプティブ・テクノロジー)。この二つを区別しようではないかというのです。サステーニング・テクノロジーというのはエクセレントカンパニーがずーっと営々と発展させ、どんどん向上させていく技術です。
比喩的に言いますと、マーケットでユーザーの期待する品質の上昇が例えばこういうカーブであるとするならば、エクセレントカンパニーはこういったカーブで品質を上げていく。そして、その期待を越えてよくなるものですから、あまりにも高いところに行過ぎてユーザーからある意味でそっぽを向かれてしまうということになります。
それに対してディスラプティブ・テクノロジーはどこへ出てくるかというと、レベルではうんと下のところ、つまり今のユーザーの目から見るとお話にならないところです。たとえばメインフレームのユーザーの目から見るとパソコンが出来ましたよといわれたところで、それがどうした、そんなものは俺達にとって何の意味もないとか、あるいはデスクトップのユーザーにメモリー・カードが出来ましたといったところで、何だハードディスクがあればいいじゃないか、そんなものはいらないとか、あるいはパソコンに対してファミコンを作ってみたら、それはビジネスには使えないじゃないかと言うことになる。けれども、実はここには新しいマーケットが発見されているのです。そしてエクセレントカンパニーの場合と同じように、いや最初はもっと急速に、どんどん製品の質を上げていく。そうするとそれまではおもちゃと思われていたものが、ある日突然、こっちの旧来のマーケットでも十分に使えるものであるということを発見した瞬間にユーザーは雪崩をうってそちらに移る。そしてエクセレントカンパニーは凋落し始める。そうなった時に気がついてももう遅い、間に合わないというのが、その典型的なケースです。
彼は、ケーススタディーとしてメモリーディスクの業界をとって、8インチが5インチになり3.5インチになり云々という中で、絶えずその時のリーディングカンパニーが凋落していった歴史を調べて、その理論を一般化してこのように言うわけです。
ここで困るのは、この議論がある程度正しいとして、特に既存のエクセレントカンパニーが生き残るためには何をすればいいのかという答えがほとんどないということです。
せいぜい出来ることは、ベンチャービジネスを別途作ってそこに思い切りやらせて、本社の身をいくら食ってもいい、どんどん殺す覚悟でやれというぐらいにして、その中で幾つか当たる物が出てくるのを期待する以外にない。あまり既存の企業にとっては元気の出る話ではございません。しかし、いま雨後の筍のように出てきているアメリカの新しいベンチャー企業にとっては非常に胸を躍らせる話でありまして、かなりの確率でディスラプティブ・テクノロジーを発展させて次の時代の覇者になれるんじゃないかと思う人々が、たくさん出てくるわけです。
ちなみに、私が9月にアメリカに行った時に、ジョージ・ギルダーが主宰しています「テレコズム」というカンファレンスに出てきたのですが、そこにはまさに新しい意味でのイノベータたらんとする人々、つまりディスラプティブ・テクノロジーを開発・展開してやろうとしているような人が600人ほど来ておりまして、数日間、朝から夜中までいろいろ議論をしていたんですが、典型的なことは、そこには既存の大企業、例えばAT&Tの人は一人も来ていない。AT&Tを辞めて出た人はいっぱい出てきていました。テリジェントのマンドルさんだとか、アイゼン・ドット・コムのデビッド・アイゼンバーグさんだとか、クエストのジョー・ナッチオさんだとか、そういう人は出てきてがんがん発言をしていましたが、インカンベントの人の姿はほとんど見当たらない。それからもう一つは、日本人がほとんどいない。私どもと、富士通アメリカの方だけが日本からの参加者でした。また、韓国からは結構来てましたけれども、他のアジアの国からはほとんど姿が見えませんでした。
さて、今のサステーニング・テクノロジーとディスラプティブ・テクノロジーという区別はご記憶いただきたいんですが。それとの関連で一言申しますと、インターネットで次世代のIPプロトコルと言われているIPバージョン6というのがございますね。先ほど申し上げたWIDE10周年の記念シンポジウムでディベートがありましたが、それは、IPバージョン6を推進する側と、それはいらないよという側のディベートでした。
アメリカの多数意見を代表する人は、アメリカではIPバージョン6なんて言ってる人はほとんど一人もいない。そんなもの忘れられて、いまあるIPのバージョン4で十分なんだ、そして足りないところは新しく補足的な工夫をする。例えばNAT(ネットワーク・アクセス・トランスレーション)とか、そういうものでやっていけば何も変える必要はない。
ちょうどQWERTY配列のキーボードでは効率が悪いことがわかっている、だから新しいDVORAKのような配列を考えてやろうというのがIPバージョン6の立場でしょうけれども、そんなことする必要はない。今のこれで十分だ、後は少し練習して速く打てるようになるとか、機械の応答を早めればいいんだというのがアメリカの言分であって、マーケットは完全に今のIPバージョン4にロックインしてるんだから余計なことをするなというのです。
しかもロックインしたままでIPネットワークの爆発が始まってるからいいじゃないかということです。シスコの方もその時来ておられたんだけれども、自分たちは一応研究はしている、万一IPv6がマーケットに出てきて、広がり始めたらえらいことになるから、一応やってはいるんだけれども、それを実際に実装するなんて考えもしていないということでした。
ところが日本は一生懸命やってるんです。WIDEもこれが次のIPだ、今のIPバージョン4は技術的に不満である。20年も古くて、たとえばモバイル機器などのインターネット接続には向かない。アメリカは先にたっぷりIPアドレスをとってしまっているからいいかもしれないが、後発のアジアの諸国はそれではとても足りない。これでは困るじゃないかという話であります。
まさに意見が分かれていたわけです。マーケットが古いIPバージョンにロックインされてしまった時になおかつ昔の夢を追ってバージョン6でいくら努力してもそれは空しい。置いて行かれるだけだというのが一つの見方です。
それからもう一つは、ひょっとするとこれが次のディスラプティブ・テクノロジーになるかもしれない。例えばIPv6を今のインターネット、IPネットワークの技術とは考えないで、全然別のマーケットの役に立つ、例えば情報家電型の機器の相互通信のためのプロトコルとして使う。それでいいと考えてそっちで広がっていって、そしてうまく発展していった時にある日気が付いたらIPネットワーク全体を十分支えるだけの力を持つようなものになっているかもしれない。その可能性も捨てきれないのですが、どっちになるだろうかというのが興味の焦点なんです。