INET97報告 インターネットの最新動向を知る


日本インターネット協会会報 Vol.4 No.02 1997年7月 所収



会津 泉(アジアネットワーク研究所代表)



ISOC(Internet Society)が主催するインターネットの世界大会であるINET97が今年はマレーシアの首都、クアラルンプールで開催された。95年のハワイ大会のときから日本インターネット協会国際部会の企画でインターネット参加ツアーを開催してきたが、昨年のモントリオールに続いて、今年も20余名の参加を得てツアーが実現した。以下、今年のINETの主なハイライトをお届けしたい。



なぜいまマレーシアなのか
INETは、第一回がコペンハーゲンで開かれたが、ISOCが正式に発足し、その主催としての最初の取り組みは1992年に神戸で開かれた大会だった。以来、開催地は原則としてアジア、北米、欧州の順で巡回してきたが、その選定はインターネットのグローバルな普及をめざすISOCによって、かなり意図的、ないし戦略的に考えられてきた。つまり、よりグローバルな普及を推進するために、インターネットの普及している米国よりも、あえて日本の神戸を選び、経済的には発展途上にあるが、インターネットの普及という点ではヨーロッパの中でも目覚ましい伸びを見せたチェコのプラハを選び、そしてカナダの中でもフランス語圏のモントリオールを選んだのである。

今回は、アジアのなかでも、いわゆる「タイガー」といわれる、香港、台湾、韓国、シンガポールではなく、いわばその次の勢力として台頭しつつあるマレーシアが開催地に選ばれた。マレーシアは承知のように、現在のアジアの政治家のなかでは際だった安定とリーダーシップを誇るマハティール首相が率いて、過去10年間10%近い高い経済成長を続け、21世紀の情報社会に向けた国づくり政策として、「マルチメディア・スーパー・コリドール(MSC)」構想を打出し、その実現に向けて国をあげた取り組みを進めている。このMSCに象徴されるように、情報技術の普及推進にかける熱意という点では、アジア諸国のなかでも、マレーシアはとくに目立つのだ。

マレーシアのインターネットの歴史は、東南アジア諸国のなかでも案外古い。研究ネットワークとしては1986年に稼働開始し、商用ネットとして一般に提供されるようになったのも1992年で、日本とほぼ変わらない。従来は電子技術関連の国立総合研究所だったMIMOSがプロバイダーとしてはJARINGというサービスを独占提供してきたが、昨年10月にMIMOSそのものが「公社」化され、ほぼ同時に国内最大の電話会社のテレコム・マレーシアがTMNETを開始して、現在ではこの2社による競争が始まっている。現在のユーザー数は、契約数で10万、人数にすると20万人から30万人と推定され、順調に伸びている。ただし大半はダイヤルアップ接続で、専用線接続はまだまだ少なく、回線容量も64kと128kが圧倒的に多い。

こうして、情報化政策にきわめて熱心な政府と、その下でインターネットの普及を順調に続けているマレーシアが、今回のINETの舞台となったのだ。


21世紀への壮大な計画―MSC
ツアーの一行は、会議が始まる前日にMSC関連の視察を行った。まず、MSC推進の公的窓口機関であるMDC(Multimedia Development Corporation)を訪れ、説明を受けた。MSCとは、首都クアラルンプールの南に隣接する東西15km南北50kmの区域に、「マルチメディアユートピア」の実験都市を建設しようというプロジェクトだ。その北端には、世界最高のビルであるペトロナス・ツインタワーが聳え立ち、南端には、4000mの滑走路が4本というアジア最大の新空港が来年の開港を控え、高速道路、高速鉄道などの交通インフラと、2.4〜10Gビットクラスの幹線による情報インフラが整備される。こうした物理インフラ、情報インフラに加えて、「ソフトインフラ」と総称される、新しい法体系、制度も用意されることが、MSCの大きな特徴である。つまり、知的所有権、コンピューター犯罪、ディジタル署名、遠隔医療、電子行政などの個別分野毎に新しい法律が制定され、全体として「サイバー法」と呼ばれるディジタル時代にふさわしい法律が整備されようとしているのだ。また、「マルチメディア保証章典」といって、MSC地区に立地する企業に対しては、税制、資本、外国人雇用などの面で数多くの優遇措置が政府によって与えられる。

この中に、新しい双子都市が新設される。主な官公庁をすべて移転する行政都市「プトラジャヤ」と、マルチメディアの集積都市としての「サイバージャヤ」だ。プトラジャヤの開発が先行し、来年には首相官邸を先頭に移転が実現する。サイバージャヤにはテレコム・マレーシアやNTTなどの大規模な研究所が建設されるほか、「マルチメディア大学」も新設される。こうして、マルチメディアの可能性を最大限に引き出すための実験都市が構築されようとしているのだ。

INETの全体会でも、MSC計画の担当大臣であるレオ・モギー郵政エネルギー大臣が基調講演を行い、MSCはマレーシアを2020年に世界の先進国入りを実現するという「ビジョン2020」実現のための触媒であり、世界一流の企業と提携することで情報社会への移行を促進するのだと述べた。レオ・モギー大臣は会場での質疑応答にも冴えを見せ、参加者の多くは、現職の政治家としては実に問題をよく把握していると感銘を受けたのだった。


「インターネット・ガバナンス」が最大の課題
今年のINETの全体テーマは「Global Frontier」という抽象的なものだったが、実質的な最大の課題は、「インターネット・ガバナンス」、つまり、だれがどうやってインターネットを管理統治するのかという点にあった。これは、昨年来議論になっている「ドメインネーム」問題に端を発している。つまり、インターネット上のドメインネームが、すでに存在する登録商標の所有者と異なる人物によって保有されることによって発生する「権利の衝突」に対して、国際的にだれがどう処理・解決すべきかという問題だった。

ISOCでは、昨年秋に「IAHC (International Ad Hoc Commitee)」を発足させ、インターネット関係者に加えて、ITU(国際電気通信連合)、WIPO(世界知的所有権 機構)という国際機関、そしてITMA(国際トレードマーク協会)の代表を招いてこの問題の討議を行い、今年2月に、いままで数が限られていた「.com、.org、.net」などの一般トップレベルドメイン(gTLD)の数を大幅に拡張するとともに、その割当機関も、希望する組織にくじ引きで増やすという解決案をまとめ、5月に関係組織が覚書にサインし、現在はその実施過程に移っている。これに対して、メーリングリスト上では議論百出し、激しいやりとりが続いてきた。また、欧州連合(EU)も、米国主導での決定には異論があると、あ る種の「誤解」に基づく異議を唱えた。

そこで「インターネット・ガバナンス全般」をテーマにした全体会のパネル討論と、「DNS」問題にテーマを絞った分科会が行われ、注目を集めた。全体会では「インターネットの父」ビント・サーフが、軍事研究から始まったインターネットの歴史を辿りつつ、インターネットの運営の基本には常にボランティアの存在があったこと、最低限の管理はIANAなどの機関に集約されてきたが、財政面では政府の資金援助から、しだいにネット運営体そのものが支える自立構造に向かっていること、新しい法的枠組みが必要なことなどを述べた。続いて、インターネットのアドレスの割当管理を行い、今回のドメインネーム問題の議論の端緒となる提案を行ったIANAのジョン・ポステルが、ドメインネームは実質的には分散システムによるローカルな処理がなされており、IANAとしての負荷はそう高くはないと強調した。

IAHCにも参加したオーストラリアのジェフ・ヒューストンは、インターネットは、これまでの協調コミュニティによるボランティア原理(「ラフ・コンセンサス」と「ランニング・コード」がその象徴)に加え、由主義市場における競争原理、そして公共政策と、3つの異なる原理による統治モデルが考えられると指摘した。

筆者も「アジアの視点」を述べよと、パネルに招かれた。そこで、「アウトサイダー」としての立場から、「インターネット」はいまや、好むと好まざるとにかかわらず国際政治絵上の「スローガン」となったこと、アジアの価値観は実に多様だが、ASEANにみられるように、「ラフ・コンセンサス」による緩やかな集まりはアジアにはもともと珍しくないこと、IAHCなどでの議論は激しすぎ、言葉と文化の壁を超えてアジア人が参加するにはためらいがあること、などを指摘した。

会場の参加者を交えた討論は予想したほど激しい意見の対立はなく、政府も含めて、新しい原理をオープンに、ボトムアップでつくっていくことが大事だという点でほぼ一致したようだった。もっとも、私は「オープン」が大事だという原理は賛成だが、何をもって「オープン」とするのかはかなり意見に相違があり、「身内」でオープンであることが必ずしもその外側にはオープンとはならないこと、しかも、インターネットではだれが「身内」でだれが「アウトサイダー」かは一定してなく、常に変化していくという意見を述べた。


CDAと米国政府の新政策
大会のもう一つのハイライトとなったのは、米国でのインターネットをめぐる新しい状況の進展だった。昨年2月、連邦通信法の改訂の際に可決された、インターネットでのポルノ情報などの規制を義務づける「通信品位法(CDA)」が、最終日の前夜、最高裁による違憲判決が下りたのだった。

たまたま最終日の朝のパネル討論が、まさにインターネットの規制・検閲問題をテーマにしたもので、絶妙のタイミングだった。CDA法案に反対する法廷闘争に加わってきた電子プライバシー情報センターのマーク・ローテンベルグ、サン・マイクロシステムズのジョン・ゲージ、フリーダム・フォーラムのアダム・パウエルらによるパネルで、まずローテンベルグが、「今日はインターネットにとっては素晴らしい日だ。我々の主張が最高裁で全面的に認められ、言論の自由が守られた勝利の日だ。しかし、子供たちに有害な情報をどうすれば見せないようにできるか、我々自身の責任は重いことも忘れてはならない」と述べた。

ジョン・ゲージは彼一流のユーモアを交え、政府=ビッグブラザーというだけでは問題は解決しないことを強調した。たとえば、子供が親のマシンのキャッシュの中身を覗くことも簡単だし、携帯電話でだれがどこにいるかは正確にわかると、自らアキハバラで買ってきた盗聴器を使って携帯電話の会話が簡単に聞けることを、会場で実演して皆を驚かせたのだった。つまり、プライバシーの侵害は、国家権力も普通の市民も、同じ技術を使って簡単にできるようになっているというのだ。


インターネットは「自由貿易圏」だ
米国のホワイトハウスは、7月初めに「インターネットへの政府の規制は最小限にし、インターネットによる商取引は無税の『自由貿易圏』とする」という新政策をクリントン大統領自らが発表した。この新政策の策定を実質的に担当したのが、アイラ・マガジーナー大統領顧問で、彼がINET97の初日の基調講演者だった。

省庁間タスクフォースの責任者として、彼はインターネットの果たす役割をきわめて高く評価し、政府はなるべくこれに介入しないことが望ましいと明言した。そして、向こう10年間で、インターネット上での電子取引(エレクトロニック・コマース=EC)は急成長を遂げ、あらゆるモノの販売のうちの10〜20%はインターネット上で行われるようになるだろうとの非常に大胆な予測を発表した。これは、今後成長が予測される産業分野としては最大のもので、経済を初め社会のあらゆる分野に強烈な影響を与えるというのだ。

政府の高官がインターネットの可能性をここまで大胆に、しかも具体的に予言する のも珍しい。それだけ、米国政府はインターネットの可能性を本気で信じるようになかったといってよいだろう。そして政府の果たすべき役割には、電話や放送分野のような規制を進めるモデルと、コンピューター業界のように、市場に委ね政府はなるべく何もしないをモデルの二通り考えられる、米国政府はあえて後者を選択し、最小限必要な規制のみを行うと言う。あと数年で通信と放送の業界は事実上「合体」するだろうとも述べた。

彼は、会場のインターネット・コミュニティの人々を指して、「皆さんの自発的な努力がここまでインターネットを成長させたことを米国政府は高く評価する。我々もインターネットから学ぶことが必要だ」と、非常に謙虚な発言を繰り返すのだった。インターネットの大会ならではの外交辞令といってしまえばそれまでだが、その後の米国政府の正式発表を見ても、マガジーナー氏の発言は本気であることがわかる。

彼は、インターネットは本質的にグローバルなものであり、その上での取引に新しい税をかけることには反対だと主張した。もちろん、既存の税まで否定したわけではないが、せっかくの無限の成長の可能性は、新規の税金によって妨げられるべきではないというのだ。また彼は、クリントン大統領が各国に対して、プライバシー保護、ディジタル署名、コンテンツの自主選択・評価方式などについて国際的な協定を結ぶことを呼びかけると発表した。最後に、米国政府はけっしてインターネットを支配するつもりはないと述べ、グローバルな協調が重要で、政府はインターネットの関係者から学ぶのだと繰り返した。

こうして、CDA違憲判決も含め、米国政府もインターネットの成長の勢いに自らの戦略を相乗りさせるかの姿勢を打ち出したのが印象的だった。ドメインネーム問題などを含めて、各国政府は今後インターネット上での活動に大きな関心を払い、さまざまな対応、干渉、あるいは支援を進めるものと思われる。インターネット関係者自身も、これまでのインターネットを支えてきたボトムアップでボランティア精神に溢れたコミュニティを堅持することに加え、インターネットを基盤とした新しい社会原理をより積極的に模索し、構築していくことが求められるようになったというのが、私自身の感想である。


アジア各国によるAPNGも開かれる
予定された会期は無事に終わったが、その直後にアジア大平洋のインターネット関係者によるAPNG (Asia Pacific Networking Group) の会合が2日間にわたって開催された。事前の予想を遥かに超える100名ほどが集まったが、国別では日本がなんと46名とほぼ半分を占め、後は別表のような構成だった。

会議では、まずオンライン選挙の結果、これまで2年間務めた石田会長に代わって、シンガポール大学のタン・ティン・ウィー教授が新会長に選ばれたことが報告された。その後、部会別の報告が行われ、さらにタン新会長から新しいAPNGの活動方針案が発表された。日本も、アジアの途上国のインターネットの発展に対しては、これまで以上の具体的な協力が求められていると感じられた。



 APNGの国別参加者数


日 本 46
マレーシア9
台 湾8
シンガポール7
タ イ6
中 国5
韓 国5
米 国5
香 港4
フィリピン3
カンボディア2
オーストラリア1
カナダ1
スリランカ1
マカオ1
パプアニューギニア1



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