1 アジア経済危機とIT(情報技術市場)への影響
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アジア地域では、最近20年以上にわたって「奇跡の成長」が続いてきたものの、97年後半に「経済危機」が到来し、少なくとも当面は、経済全体の成長率が相当鈍化することは避けられなくなったと見られている。事態が今後どこまで深刻化するのか、いつ頃どんな形で復活するのかは、現時点で正確に予測することは困難だが、早くて3年から5年、場合によっては10年かかると見られている。
しかし、そうであっても、世界市場全体のなかで見たときに、とくに21世紀型の情報社会の出現において、アジア地域が果たす役割は、依然として大きなものがあるだろう。その裏付けとしては、以下の要因が指摘できる。
まず、アジア地域には、台湾、シンガポールから中国、インドに至るまで、情報技術(IT)関連のハード、ソフトの両分野で主要な生産拠点が集中しており、相対的には質の高い労働力が低廉で豊富に供給されている。経済の自由度も全般に高く、また米国出身の技術者、経営者で、祖国に帰国して事業を開始したり、米国に留まったままで本国との緊密なネットワークを形成して事業展開する人々は多い。彼らによる企業家精神に満ちた事業展開の活力は、今後強まりこそすれ、衰えるとは考えられない。さらに、各国政府とも、情報化が今後の経済発展に主導的な役割を果たすとの認識をもち、シンガポールやマレーシアに代表される情報化推進のための国家プロジェクトの展開においても、他地域より早くから展開してきた実績をもつ。
日本企業にとって、アジア地域は、製造業の生産拠点として、また製品の輸出市場として、米国に匹敵する戦略的な位置をもつ。
とくに、インターネットを中心としたオープンなディジタル・ネットワークが、アジアにおいても、今後急激に成長するものと思われる。ここではとくにこうした視点を重視して、アジアにおける最近の経済危機がIT分野にどのような影響を与えたのか、今後IT分野がどのような展開を見せるのかについて、分析・考察を行なう。
1 アジアを襲った経済危機
(1)通貨の下落、IMFの救済、新たな社会不安
アジア諸国は、97年7月2日、タイ政府が5月中旬から始まった国際投機筋の「バーツ売り」圧力に屈し、バーツ変動制へと移行したことが引き金となって、通貨と株式市場の連鎖的な暴落が起こり、経済情勢全体が急激に悪化を辿った。とくにタイ、韓国、インドネシアでは、累積した海外債務と経常収支赤字が事態を深刻化させ、国際通貨基金(IMF)による救済措置を受け入れざるをえなくなった。
マレーシアのマハティール首相は、ジョージ・ソロス氏を名指しで非難し、「国際投機筋による通貨切り下げの陰謀は、アジア国民が数十年間にわたって営々として築いてきた富を一夜で奪い去る犯罪的行為であり、実体取引を伴わない金融投機は全面的に禁止すべきである」と繰り返し発言し、切り下げ圧力に対抗しようとした。しかし、彼が発言すればするほど、マレーシア通貨(リンギット)に売りが浴びせられ、事態の改善にはほとんど効果がなかった。
通貨危機は、東南アジア全域に伝播し、香港では米ドル連動(ペッグ)相場制を堅持する政府当局が、香港ドル売り圧力に対抗する市場介入で相場を支えたが、その手段として実施した金利の大幅引下げ政策が不動産市場の見通しを悪化させ、10月28日には香港株式市場のおける市場最悪の暴落を招く結果となった。この動きは、グローバル市場に飛び火し、ニューヨーク市場でもダウ工業株が過去最大の下げ幅を記録、東京市場も含め世界同時株安という、歴史的にも稀な事態を経験するに至った。
その後97年末に韓国がデフォルト寸前に達したのに続き、年末から98年冒頭にかけて、インドネシアでスハルト大統領の7選出馬をめぐる政治不安に加速され、ルピアが一段と暴落した。こうした流れによってアジア通貨は全面安に向い、さらに大蔵省、日銀を発火点とする金融スキャンダルに揺れる日本に対して、不況の進行に有効な経済政策を打ち出せないと欧米から批判が高まり、ついにアジア経済全体が「爆発寸前」(『Economist』98.2.28)とまで形容されるに至った。
インドネシアでは幸か不幸か、スハルト7選は強行され、ハビビ副大統領の指名を伴って、最悪の事態は回避されたが、依然としてクローニー政治を中心とするスハルト体制への批判は根深いものがあり、学生たちのデモも弱まる様相は見えていない。
一方韓国では2月に金大中が新大統領に就任し、タイでも97年に選出されたチュアン首相が、それぞれIMFの改革策を受け入れた大きな痛みを伴う経済・社会改革に着手し、最悪の事態からは脱出しつつある。韓国、タイ、インドネシアなどでは、経済不振により輸入の大幅減少が主因なって、貿易収支の大幅改善が達成されるようになった。とはいえ、通貨安を追い風にした輸出攻勢は一部産業に留まり、全体としてはこれまでの成長を支えてきた輸出主導の経済が回復したとは言い難い。
とくに、企業のリストラ、倒産などの事態を受け、これらの「改革」は、新たに大幅な失業者を生み出している。IMF支援の対象となった韓国、タイ、インドネシアでは、98年の失業率がそれぞれ、約6.5%(韓国)、6.8%(タイ)、9.8%(インドネシア)と、経済危機以前の水準の2倍から4倍、過去10年間で最大を記録し、インドネシアでは15%、1340万人に達する恐れがある(サンブアガ労相・『日本経済新聞』98.4.29)との懸念が出ている。他のアジア諸国でも、香港が98年1-3月で3.5%、マレーシアも97年の2.5%から98年は3.5%に、フィリピンも前年から0.7ポイント上昇して8.4%と大きく上昇している。
仮に個別の企業経営は好転しても、このままでは貧富の格差の拡大を中心とする社会不安が増大することは不可避といえ、「奇跡の経済成長」を遂げてきたアジア各国は、いま大きな試練を迎えている。
(2)危機の真因は
今回の危機は、順調に成長を続けてきたアジア経済がある日突然冷や水を浴びせられ、通貨と株のダブル安によって一挙に転落してしまったかに見えるが、現地の日系企業などの関係者の間には、遅くも97年初頭頃から、明らかに過熱気味の景気に対して懸念の声があったのも事実である。
マレーシアでいえば、ここ数年、賃金の上昇率が労働生産性のそれを上回り、国家プロジェクトによる大型開発などの建設ラッシュ、不動産投資などが目立つことに対して、人材の育成、地道な企業努力など、内実を伴った経済成長よりも、外資を中心とする投資ないし投機の性格が強いという批判の声もあった。タイにおいても、ほぼ同様の状況であったと思われる。
これらの懸念の相当部分は妥当なものであり、行き過ぎた成功体験が慢心と傲慢とに結び付き、マネーゲームが勤労と努力より重視される社会風潮をもたらしたことは否定できない。その背後に、バブル崩壊後の行き場を失った日本の金融資本が、アジア諸国の資本に対して巨額の融資を行なったことも指摘されている。タイやマレーシア、インドネシアなどの国策大型プロジェクトにも、日本の建設資本が深くコミットしてきたのである。
しかし、たとえ表面的でも右肩上りで成長が続いているときに、「いつかは破綻する」とわかっていても、具体的にそれがいつどのような形で到来するかを正確に予測することは困難であり、したがって自分だけが早々とゲームから「降りる」ことが難しいというのは、日本におけるバブル経済とその崩壊の過程での経験でも明らかにされたことであろう。それが事態の急速な悪化、破綻を招いた真因でもあった。
政治の不安定が引き金を引いたことも事実である。タイでは、前首相の統治能力の低下に起因する政治不信が大きなきっかけとなった。インドネシアでは、スハルト一族の利権政治への批判が政情不安、経済不安を引き起こす主要因だった。
マレーシアでは、マハティール政権と与党UMNOの政治的な安定度はきわめて高いものの、日経新聞などが数回にわたって報道しているように、数多くの大型国家プロジェクトが特定の企業利権と深く結びついていることは公然の秘密であり、首相らが先導してきた国営企業の「民営化」の結果、これらの企業による非効率で不透明な経営が、経済全体に大きなマイナス要因となったことは否定できない。経済的な力の強い中国系国民よりもマレー系国民を優遇する「ブミプトラ政策」も、市場全体のパイが拡大成長しているうちは、不満も吸収することが可能だった。しかし、最近数年は、マレー系内部の資本のなかでも、首相側近、家族の事業への傾斜が目立ち、パイが縮小し始めた途端に内部批判が高まり、与党内部の政争の噂が絶えなくなっている。
しかし、こうした要素は従来から「開発(独裁)経済」として、西欧型モデルとは違う発展パターンだと高く評価されていたのも事実であり、結果として成功している限りにおいては高く評価し、うまくいかなくなると途端に非難の対象にするというのは、あまりにご都合主義的な結果論だとの謗りも免れないだろう。日本も欧米も、建て前はともかく、利権構造のなかで事業を展開してきた点では、大同小異といえる。
同じアジアでも、国による政策・制度・経済状況における差異は大きい。なぜこの時期に、こういう形で、アジア経済のなかでもとくにタイ、インドネシア、韓国が大きく打撃を受け、フィリピン、マレーシアなどがこれに続く一方で、シンガポール、台湾、あるいは中国、インドなどは大きな打撃を受けなかったのかは考察に値する。明らかに独裁支配の構造が強いインドネシアと、民主化が進んでいるタイ、韓国とが、いずれも経済的に失敗したことは、政治的な要因からだけでは説明できないものがある。政治を民主化し、市場を自由化して開放しさえすれば、経済は立ち直るというのは俄に信じるわけにはいかない安直な処方箋である。
今回は、これらの点について深く突っ込んだ分析は不可能だが、相対的に打撃の少ない諸国が、いずれも情報技術(IT)に関連する産業分野の比重が高い国であることは注目に値する現象といえるだろう。
2 情報通信産業への影響
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[ 2章 ]
[ 目次 ]
そこで、急成長から大減速へと一気に経済が悪化したアジア諸国において、コンピューターおよびインターネット技術を中軸とする情報通信関連産業が、今回の経済危機でどのような影響を受け、どういった動向を見せているかを分析してみよう。
(1)他産業よりは打撃は小さい
一般論としては、経済の悪化に比例して、情報通信関連のビジネスも減速ないし停滞に向っていることは否定できない。しかし、経済全体の悪化の状況に比べれば、情報技術(IT)関連市場が受ける影響は相対的には軽微といえるようだ。とりわけ、不動産、金融など、過剰投資がバブル崩壊を引き起こし、倒産、合併による企業救済などが続発し、危機が直撃した分野、あるいは、金融不安により消費者側への融資が停止され、前年比マイナス70%以上といった深刻な落ち込みを経験している自動車をはじめ、不況が一気に売上現象に結びついている家電、旅行・観光、一般小売業などの産業分野と比較すれば、これまでのところ打撃は小さいといえる。
事実、マレーシアにおいても、情報技術関連の企業は需要が根強く、業績的にも今年度で30%から50%といった依然として高い成長を見込んでいる企業が存在している。一般市民のパソコン購買の勢いは衰えてはいるが、企業内ネットワークなどの整備は進行しており、価格・サービス品質などでの淘汰は進んでいるものの、全体としての減速感は少ない。米国・欧州市場の情報技術分野での空前の好況が、アジアの製品輸出の拠点地域に好影響を与えていることも無視できない。
IT分野の市場成長率についての予測は、国・地域により相当異なり、楽観・悲観の双極に分かれている。たとえばIDCは、98年の日本を除くアジア全体のIT市場は、490億米ドルと、97年の503億米ドルからマイナス2.6%成長という予測を発表し(『PC Week Asia』98.3.8)、一方アセアン諸国のIT市場については、今後5年間で年平均9%成長、市場規模では97年の80億米ドルから2002年には130億ドルに拡大すると予測している。通貨危機以前の17%という予測値からは半減と、大幅に下方修正されたが、それでも、通貨危機の結果、全体の経済成長率については良くて5〜6%、このまま行けばマイナスからせいぜい3%成長という予測が一般的なだけに、この予測が正しいとすれば、IT分野が他産業を大きく上回り、経済全体の成長の原動力になるという図式を描くことは可能といえる。
国別でみると、中国ではパソコンの売上が97年の300万台から98年には50%増の450万台に達するものと予想されている。一方、タイでは98年度のパソコン市場がマイナス38%、IT分野全体ではマイナス15%の落ち込みが予想されている。アセアン諸国のなかでは経済危機の影響がもっとも少ないシンガポールでも、98年のIT市場はマイナス1.4%という予測が出されている(いずれもIDC調べ)。
マレーシアについては、10月に政府が発表した「経済レポート」では、98年のIT産業は14.4%の成長が見込まれ、製造業全体をリードする牽引車としての役割を果たすとの期待が表明されていた。マレーシア・コンピューター産業協会(PIKOM)も、当初の20%という予測を12月に10%前後へと下方修正したが、依然強気である。ただし、これには業界団体としての希望的観測が含まれるといえるだろう。IDCは98年1月に、98年の成長率を5.7%と予測し、前年発表の16.5%から大きく下方修正した。おそらくこのあたりが妥当なところだろう。
(2)依然高い競争力水準
いずれにしても、好況を呈している米国経済の主要成長分野が半導体、パソコン、ネットワークなどに代表されるIT分野であり、アジア諸国からのこれらの関連製品の輸出は今後も確実に伸びるものと予測される。台湾、中国、香港、マレーシア、シンガポールには、それぞれハード製品の生産拠点としての資本、技術、設備、人員の蓄積があり、官民の研究開発意欲も旺盛であり、通貨安によってコストが大幅に切り下げられたため、世界の他地域との比較でも依然として高い水準の競争力を確保することが可能だからだ。
もちろん、個別には激しい技術革新競争が続く分野であり、研究開発、新製品開発などへの投資が成否を収めるかで、個別企業の浮沈がおおきく左右されることは間違いない。しかし、総体的にいえば、少なくとも向こう3年から5年のスパンでみたときに、これらのIT産業、そしてインターネットなどに代表される通信ネットワーク産業、そして隣接してそれらを使いこなす製造業、流通業などの分野が世界経済のなかで大きく成長していく可能性はきわめて高いといえるだろう。
3 インターネット分野の動向と経済危機の影響
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[ 2章 ]
[ 目次 ]
(1)インターネット市場の成長は続く
企業利用を中軸とするインターネット関連分野は、少なくともこれまでのところ、打撃の少ないIT分野のなかでも、さらに相対的には落ち込みがもっとも少なく、高い成長率を維持するセクターと見られる。実際にインターネットの関係者に直接触れ、生の声を聞くことを通しても、アジアにおけるインターネットの利用者の急成長は続き、市場の成長も続くとの感触は高い。一時的にはプロバイダーのシェークアウトなどが起こり、技術と体力の劣る企業は落後していくことはあるが、それがかえって優秀な企業を淘汰選別し、ユーザーの要求に答えていくことで、全体の成長を押し上げることになると考えられる。
アクセス・メディア・インターナショナル(AMI)は、アジア太平洋全体のインターネット利用者は98年の推定2200万人から、99年には3400万人、2000年には4400万人と、わずか2年で倍増という予測を発表している。IDCも、95年から2001年の5年間の利用者数の平均成長率を63%と見込んでいる。いずれも日本を含む数字である。
個々のプロバイダーの間でも、98年も、毎月10〜20%程度の利用者の増加を期待しているところは少なくない。「インターネット・ブーム」に乗って十分な技術的、経営的裏付けもなく参入した企業を別にすれば、企業利用、個人利用とも、人口比、GNP比で見てもまだまだ利用者が少なく、それだけ潜在利用者が顕在化する可能性が高い、成長市場だといえるのだろう。
(2)日本は停滞?
ここでむしろ気になるのは、日本のインターネット利用、普及度が、経済の実力と比較したときに、アジア諸国のなかでも、シンガポール、台湾、香港などより大きく遅れをとる可能性がある、ということである。図に見られるように、国別にインターネットの普及率(利用者対人口比)と一人あたりのGDPとの相関関係を求めて比較すると、日本のインターネットの普及がすでに相当遅れていることが明確に浮き彫りにされるのである。
(図1)インターネット普及率と一人あたりGDP

(出典:アジアネットワーク研究所、1998年4月)
事実、たとえばインターネットの中枢を支えるルーター市場で世界の70%のシェアを誇るシスコ社の日本法人の社長で、本社のアジア太平洋担当副社長も兼任している松本孝利氏は、「インターネットでEC(電子商取引)によるコスト削減は欧米の常識、日本企業だけが取り残される」、「企業や日本におけるインターネットの利用率にしても、アメリカだけではなくて、韓国やシンガポールより低い。このままでは国際競争力を失ってしまう」(『日経マルチメディア』98.5)と強く警鐘を鳴らしている。
(3) インターネット・サービス・プロバイダー(ISP)の動向
こうした経済状況の下で、インターネットの市場を代表するインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)の状況をみてみよう。以下は、アクセス・メディア・インターナショナル(AMI)社が1997年に実施したアジア太平洋地域13カ国のISPを対象とした市場調査の結果の概要を要約紹介したものである。この調査は、アジアインターネット協会(APIA)、アジア太平洋ネットワーク情報センター(APNIC)などの協力を得て、1997年10月から11月にかけて、郵送および電話によるアンケート調査という方法で実施されたもので、合計162社のISPからの回答を得た。(筆者の属するアジアネットワーク研究所(ANR)も、本調査の企画・実施に全面協力した)。
●ISPのプロファイル
アジアにおけるインターネットの商用プロバイダー事業は、1994年から本格化し、95年から96年にかけて事業開始のピークを迎え、昨年からやや伸びが鈍化した。とくに1996年に事業開始した企業が40%を越えているのが目につく(表2)。
(表2)ISPの事業開始時期

国によって事情はかなり異なるが、大きな傾向としては、94年までに開始されたISP事業は、それまで学術研究ネットワークとして運用されてきたネットワークが、企業利用の増加と、それによる需要の伸びが見込まれることで、民間企業へと転身したところが多い。シンガポールのテックネットがパシフィック・インターネットになり、韓国のKAISTのネットワークからIネットが生まれ、マレーシアのMIMOSのネットワークがJARINGとして商用化され、日本でもWIDEプロジェクトからIIJが生まれたのは、いずれもそうした例といえる。
96年以降の傾向としては、電話会社によるISP事業への進出が顕著になったことがあげられる。1996年から97年にかけて、日本のNTTによるOCNをはじめ、マレーシアのTMネット、フィリピンのPLDT、インドネシアのテレコム・インドネシアなどが、いずれもISP事業に進出している。タイはもっと極端で、すべてのISPが国営電話公団(TOT)から30%の出資を受けることが認可条件となっている。
ベトナム、カンボジア、モンゴルなどでも、97年から98年にかけて、電話会社がISP事業に進出を開始しており、現時点では、主要国の電話会社でISP事業に進出していないところはほぼ皆無といえるほどである。
売上高的には、まだまだ規模が小さい。1996年の実績値では、50万ドル(日本円で約6500万円)未満の企業が23.5%ともっとも多く、ついで、100万ドル〜1000万ドル未満が13.6%、50万ドル〜100万ドル未満が9.3%と続く(表3)。
インターネット事業の売上比率は、全回答の平均が62.9%であるというから、これらの売上規模の企業では、インターネット事業からの収益が大半を占めているといえる。反面、1億ドル以上という企業が9.5%あるが、ISP単独で130億円以上も売上高があるとは考えられず、電話ないしコンピューターなど、本体の事業部門との合算での数値である。
(表3)ISPの売上高

●業務利用の伸び
実際に利用されているアプリケーション別のトラフィックのボリュームおよび伸び率では、これまでのところ電子メールがもっとも高く、僅かの差でWWWが続いている。96年はウェブのトラフィックの伸びがメールのそれを上回ったが、97年には僅差でメールが逆転し、98年には再逆転が予想されている。その要因を正確に解釈することは困難だが、インターネット全体の業務利用が増えるにつれて、社内や顧客との連絡に利用されて、電子メール利用が増大する傾向にあるということは言えるだろう。
タイや韓国など、通貨暴落にあった一部の国では、国際電話や国際FAXの価格がドル建てということもあって大幅値上げになったり、経費節減を迫られて、事実上の通信コストを大幅に安くできるインターネットによるメールに切り替える動きが見られたという。シンガポールでも、たとえば日本との間の国際電話のトラフィックの伸びはここ数年でほぼ横這いとなり、音声系は専用線によるコールバック・サービスに食われる一方、FAXは電子メールに代替されていると見られている。
今後のインターネットのトラフィック動向については、全体として依然急成長が続くと予測するプロバイダーが多かった。とくに、ウェブ、エクストラネット系の伸びが多いと回答したところが多く、インターネットの業務利用の伸びが期待されていることは明らかである。
単にインターネットのコネクティビティを提供する「単純プロバイダー」の比率は低く、大多数のプロバイダーは、何らかの形での「付加価値サービス」を提供している。これらのサービスとしては、イントラネット・コンサルティング、サーバーのハードおよびソフトの購入コンサルティング、LANーWANの設計、リモートネットサーバー管理などがあり、いずれも企業ユーザーを対象としているものだ。こうしたサービスは総じて利益率が高く、また売上高の面でも軽視できない規模となっている。
なお、これらのサービスの提供にあたっては、半数のプロバイダーが外部のシステム・インテグレーション(SI)業者あるいは付加価値販売業者(VAR)と提携と回答しており、自社の人員で単独に受注・処理する事業者と半々の比率となっている。
●推進要因はイントラネット、ECにはクールな反応
今後の需要動向について、インターネットの普及を推進する要因として、業務用イントラネットの需要が第一位となり、続いて業務用ウェブのホスティング、個人ユーザーの伸びが続く(表4)。
(表4)インターネットの今後の普及推進要因

インターネットショッピングはわずか20%余と注目度は低く、一般に期待されている電子商取引に対して、少なくともISP側は意外とクールな反応で、関心が高い企業ユーザー層とは好対照を示している。遠隔教育、オンラインゲーム、ソフトの配信などへの期待度も低く、いわゆる「コンテンツ」志向のサービスはあまり浸透しないとの見方が強い。
●阻害要因、劣悪な通信インフラがトップ
一方、インターネット普及の阻害要因としては、「通信インフラの未整備」をあげたところが44%ともっとも多く、地域特性がそのまま忠実に現れたといえるだろう。「ISP間の競合」をあげたところも30.9%あり、競争の激化が過当競争となって、市場全体の伸びを阻害するという見方が根強いことがわかる(表5)。
パソコン普及率の低さを阻害要因とみるのは、家庭が13%、職場8%と、いずれも低い。さらに、「コンテンツの魅力の無さ」も8%、言葉の障害(主として英語の問題)は6%しかあげられず、よく指摘されるこれらの要素を必ずしも阻害要因とはみていないことも明らかになった。
これらのデータから、アジアのプロバイダーたちは、インターネットの表面的なブームに躍らされることなく、需要動向については業務利用中心にきわめて現実的にみているといえるだろう。
(表5)インターネット普及の阻害要因

企業ユーザーの増加には専用線価格の水準が決定的な要素となるが、相対的に安いとされる国が、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国、マレーシア、フィリピンなどである。ただし、これは、いわゆるインターネット接続の料金であって、それ以前の電話会社による専用線料金そのものは含まれていない。また、単純ドル換算比較であって、通貨価値、物価水準などはあまり考慮に入れられていないから、必ずしも各国のユーザーの実感と一致するとは限らない。
所得水準などを考えると、一般にアジア諸国の専用線接続料金はまだまだ割高で、それだけ企業による専用線利用の普及が浸透していないことを物語っている。
4 アジアのインターネット市場の今後の展望と課題
[ 1節 ]
[ 2節 ]
[ 3節 ]
[ 4節 ]
[ 2章 ]
[ 目次 ]
(1)通貨下落が大きな負担に
現在の最大の課題としては、技術的優位の高い欧米企業からの製品輸入比率が圧倒的に高く、しかもその大半は米ドル建てで決済されるため、自国通貨の大幅な下落が、現地事業者側には過大な負担として作用していることがあげられる。コンピューターやルーターなどの機器は、少なくとも完成品ベースでは米国からの輸入が大半を占めるため、大幅値上げの傾向は避けられず、新規の設備投資の負担度が増している。同様に、国際通信回線の料金も、ほとんどが米ドル建てで決済される慣行が強いため、アジア各国の事業者にとっての負担は深刻な問題となっている。
しかし、企業ユーザー側の情報技術(IT)やインターネット関連への投資意欲は根強いものがある。すでに述べたように、経済全体の減速の影響を受けることは避けられないが、その程度は相対的には軽いとみられる。むしろ全般的な経済状況が悪化しているなかで、企業は体力に余力があるうちにリストラ努力を行ない、少ない人数で効率的な事業経営を行なうために、情報化投資を重視するという傾向が強く出ている。後述するが、とくに電子商取引など、今後爆発が期待される成長分野に対しては、企業側の関心度はかなり高いものがあるといえる。
(2)国際通信料金体系の見直しが必要
国によって程度は異なるものの、アジアのISPにとって、現在直面しているもっとも大きな経営課題が、経済危機をどう乗り越えるかという問題であることは言うまでもない。
とくに韓国やタイ、インドネシアなど、通貨価値が急落した国では、国際専用線の接続料金が一気に値上げされたことになり、総コストに対する比率が、それまでは30%前後だったものが、70%を上回るところさえ出てきて、経営に与える影響は深刻なものが出始めている。
98年2月中旬、マニラで開催されたAPRICOT会議において、アジア地域のインターネット関連企業、主としてプロバイダーおよびベンダーによって構成されるAPIA(アジア太平洋インターネット協会)が、「インターネットのインフラストラクチャーの財務問題」と題するディベートを開催し、国際通信料金体系について、インターネット推進の立場から見直しを求める議論を展開した。
韓国の独立系プロバイダーであるアイネット社の社長でもあるジン・ホーハーAPIA会長は、通貨下落の影響により、韓国やインドネシアなどでは経営が行き詰るプロバイダーが出て、合併や破綻が避けられない状況も出始めていると報告した。事実、インドネシアでは、4月初旬になって、13社のプロバイダーが国策電話会社テレコム・インドネシアと協定を結び、インターネット接続用の国際専用線を共通で利用することでコストの大幅低減を実現することで、経営負担の解消を図った。ただし、これに対しては、価格協定を含む悪質なカルテルだという批判も競争勢力からは投げかけられている。
タイのコンピューター業界では、通貨価値の下落に対し、IBMやコンパックなどが対米ドルレートを一定相場に固定し、それ以上の下落はメーカーも共に負担するという方針を打ち出し、販売会社、ユーザーから支持されたという事例が報告された。
これとは対照的に、通信料金は、通貨危機を経ても、全体としてドル建てで、価格も高水準のまま維持される傾向が続いていることが問題とされた。
電気通信の世界では歴史的に「環太平洋均一料金」が成立し、インターネットに必要な国際専用回線の接続料金も、たとえば日本と韓国を接続する料金が日本と米国を接続する料金とほとんど変わらない状況が長く続いてきた。最近でこそ、この傾向は徐々に変わりつつあるが、それでも、大多数のプロバイダーは、コスト・パフォーマンスを重視し、トラフィックがもっとも集中する米国との接続を最優先する傾向にあり、アジア諸国同士を直接する国際バックボーンは、まだまだ限られている。
この米国へのトラフィックの集中現象は、米国側の接続業者側に「売り手市場」のポジションを与えることになってきた。つまり、日本でもマレーシアでも、対米接続を実現するためには、国際専用線の着地先で、米国の国内バックボーンとの接続を実現する必要があり、そのための接続先=パートナーと事業提携をする必要がある。この場合、かりにトラフィックが対等であれば、国際専用回線にかかるコストも対等に負担することになるはずだが、米国側の事業者にすれば、「アジアのユーザーが一方的に米国のサイトの情報をアクセスするのだから、コストもすべてアジア側でもつべきだ」という主張となり、それでも接続を実現することがどうしても必要なアジア側は、やむなく回線料金を全額負担することを余儀なくされてきた。これが、いわゆる「フルサーキット負担問題」である。
利用の実際の局面を考えると、たとえばマイクロソフトやネットスケープのサーバーから情報(プログラム)がダウンロードされることは、これらの企業の事業展開にとって大きなメリットがあることになり、形式上トラフィックを引き起こすエンドユーザーおよびそのユーザーの存在する国のISP側だけがそのコストを負担すべきだというのは、フェアな主張とは言い難い。
電子メールによるコミュニケーションにおいても、アジア側からトラフィックがあれば、それに返事をする米国側からのトラフィックも発生するわけである。つまり、電話と違い、インターネットでは、厳密な意味でどちらがどちらのトラフィックを発生させるかを一義的に確定することは容易なこととはいえない。にもかかわらず、インターネットに対しても電話と同様の発呼者負担の課金原理を適用することは、大いに無理があるだろう。
しかし、米国側の事業者は、少なくともこれまでは頑なな姿勢を保ってきた。これに対抗して、KDDやオーストラリアのテレストラなどが、不公平な料金基準の是正を呼びかける一方、IIJが主導するAIHなどのように、アジア諸国同士で出資してアジアバックボーンを構築しようという動きも活発になっている。
今後は、APIAなどのインターネット事業者側が共通の利害を確立し、通信事業者に理解を求め、主張すべきところは積極的に主張する動きが強まることは避けられないだろう。欧米の電話会社側も、これまでは需要の偏在を理由として、一方的な料金体系での「売り手市場」を享受できたが、そうした不合理な状態は新規参入の誘因となり、今後はインターネットそのものの競争が激化することは必然とみられる。
(3)IP中心の新興勢力が、いずれアジアに登場は必至
米国で98年初頭から急激に勃興をみせているワールドコムやQWESTなど、IP技術を中核とした新しい情報通信ネットワークサービスを推進する新興勢力は、こうした従来型の電話会社が維持してきた利害体系とは無縁に、インターネットを中軸とする新しい技術・コスト構造を武器に、米国市場で急激に新規事業展開を始めたが、米国での投資に引き続いて、新たな市場の確立をめざし、アジア市場に対しても積極戦略を打ち出してくることは必然といえる。すでに始まりつつあるインターネット電話の勃興は、電話会社そのものの経営基盤を危機に晒すと同時に、新しい市場の拡大の前兆でもある。また、太平洋に新設される海底ケーブルの埋設事業でも、これらの新興事業者が従来の常識を大幅に超える需要想定の下に、回線の確保に動いているという。
現在は、アジア諸国のキャリアの多くは、そして政府当局は、まだこれらの新興勢力の可能性を十分理解しているとは言えない。ISP側も、気がついているところは多くはないだろう。しかし、アジア側でも、経済危機の底流で、新しい資本、経営戦略への胎動がみられる。通貨危機により、合併統合、提携などの動きが余儀なくされつつあり、その動きは間違いなく国境を越えていく。
シンガポールでは、98年4月に、NTTとBTが現地資本と提携したスターハブに、通信事業の免許が与えられ、本格的な外資導入が実現することになった。マレーシアでは、98年5月初頭に、通信事業者の外資規制を61%にまで引き上げると発表された。5年間に期間限定していることなど、経営危機に陥っている国内通信会社の救済措置という色彩が濃いこの決定だが、いずれ資本自由化へと進む底流は否定できない。
こうした、ある意味では強いられた対応にみえる動きが、次の局面では積極的な意味をもつ可能性は高い。アジアにおけるインターネット市場は、激動のなかからそうした新規戦略を産むための陣痛期を迎えているといえる。