マレーシアからの報告1998

以下は、1998年年頭(といっても中国新年=1月末)に発送した挨拶状の

原稿と同じ内容のものです。本物にはカラー写真も入れてあります。

ここにも、いずれ入れるつもりです。

月遅れとなりましたが、新年あけましておめでとうございます。南シナ海の向こう側からのご挨拶です。

 もっともこちらは、1月末のイスラムの断食(ラマダン)明けのお祭り=ハリラヤプアサと、旧正月=中国新年が来て、はじめて新年らしくなるようです。日本もアジアも、経済が急降下して、明るい話題の少ない昨今ですが、今年は新しい成長への試練の年となるのでしょうか。

 多くの皆様には、クリスマスカードや年賀状を先に頂き、ありがとうございました。

 さて、昨97年4月11日にここマレーシアのクアラルンプール(KL)に移動してから、はや8ヵ月が過ぎました。なぜこんなに時間の経過が速く感じられるのかと戸惑うばかりです。

 なんとか新しい環境に慣れて、仕事と生活に勤しんでいます。この間、ほんとうに多くの皆様から温かいご支援、ご指導、励ましを頂きました。ご無沙汰ばかりで申しわけありませんが、あらためて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。年が改まったのを機会に、過去一年を振り返ってのご報告と、新年への抱負とをお届けいたします。

環 境

海外に住むのは、はじめてのことです。会社設立、事務所設置と、すべてが新しい経験の連続でした。最初の数ヵ月は、電話、FAX、コピー機、プリンター、コンピューター、モデム、LAN、サーバー、車... 物理的な環境を整えるだけ精一杯でした。日本なら数時間で済むようなことが、要領がわからないために、数日、数週間、ときに数ヵ月かかることも珍しくありません。でも、これがここのペースなのだと受け止め、別にあせることなく過ごせました。何でも迅速で効率よく、正確に処理できる日本の方が、もしかしたら世界の中では異常なのではと思うようにして。東南アジアののんびりペースに、さっさと順応できたようです。

 オフィス探しは、移動前の2月に済ませました。こちらの三井物産の菅原さんに紹介された、デザインオートメーション社KL事務所の宇塚さんにすっかりお世話になり、同じアパートに住み、オフィスもすぐ近くにしました。それまでさんざん探したのですが、限られた予算に合うところが無く、ようやく現在のタマンデサ(直訳すると「田舎の公園」)地区に落ち着きました。都心から南西に車で20〜30分。空港に近く、マルチメディア・スーパーコリドール(MSC)計画の中心部にも便の良いところです。大半は中国系の中流市民、日本人もいますが、日本人がもっと多い高級住宅地よりは家賃も物価もだいぶ安く、けっこう住みやすい所です。

 昨夏は、煙霧(ヘイズ)に悩まされました。日本でもだいぶ報道されましたが、本当にひどいものでした。幸い、11月から影響はなくなりましたが、火元インドネシアのスマトラ島などの奥地では、火が泥炭地の地中に潜伏しているそうで、雨季の明ける3月頃から再発が心配されます。 住 住まいはいわゆるコンドミニアム。3LDK110平米ほどで、家賃月額RM2800。来たときは1リンギット(RM)50円だったのがいまは30円、14万円が9万円を切った計算です。20階建ての14階。プールとテニスコート付き。日本のガイジン住宅のような環境です。8月から妻と3人の娘も一緒です。ドアが壊れたり水が漏れたりエアコンやビデオが故障したり、トラブルは尽きませんが、すぐに慣れました。

事務所は徒歩5分。「ショップロット」といって、ヨコに連なる大長屋で、1階が商店、2階が事務所、3階が住宅という、よくある複合施設です。狭い階段を上がった2階、現地の会社の一画を「又借り=共有」で20坪少々。家賃RM1800、6万円弱です。小会議室もあり、3人には十分のスペース。下には洗濯屋、印刷屋、健康食品屋、横にはセブンイレブンもあります。駐車場は周囲にあり無料ですが、空きスペース探しが苦労。路上違法駐車でもつかまることは皆無です。

夕食を家族と一緒に自宅でとることが増えました。昼食はたいてい事務所の側の屋台か食堂。マレー風のチャーハンか焼きそば、あるいはお皿にご飯を盛り、野菜炒めやカレー(チキン、魚、マトン)、チキンの唐揚げなどのオカズを3、4種類選んでのせて食べる「経済飯」(または「雑飯」)がRM3〜4前後。飲み物を入れても100円から150円です。KL市内の高級ホテルの和食だと、最低でも天婦羅蕎麦がRM25で、刺身定食だとRM50とかします。円にすれば1500円。中華ならせいぜいRM20前後です。  マレー風、インド風、中華風と食べ物のバラエティの多さは、多複合民族国家ならでは。スパイスがよく効き、カレーはココナツミルク、サテー(マレー風焼き鳥)にはピーナッツ・ソースが効果的です。インド料理のロティ・チャナイという、手作りの焼きパイも安くて美味。  中華はピンからキリまでですが、日曜の昼は飲茶も魅力。夜の会食ではスチームボート=中華風鍋が手軽に楽しめます。独身者や共稼ぎ家庭では、自炊するより外食の方が安いとよく言われます。食事に比べて高いのは、イスラム国の税金のせいで、酒類です。ビールの量は痩せるためにだいぶ減らしました。好きなワインも高く、それではインターネット通販でと米国から取寄せたら、送料と税金で3倍に。上質のカリフォルニアワインが1本3000円ほどでした。

日 常

出張がないときの、典型的な一日を描いてみましょう。朝は8時過ぎから10時頃まで、まず自宅で仕事。主にメールチェック、支払い準備など。それから事務所に移動。新聞、FAXや郵便物を見て、電話をかけたり受け。それから市内に人と会いに車を運転して出かけます。中心部まで空いていれば20分。渋滞すると30〜40分、ひどいと1時間以上かかります。移動するのも買物するのも駐車するのも、何をしても時間がかかり、用事は午前1件、午後2件といったペースです。合間に本屋、銀行、両替屋、旅行代理店etcの寄ると。あっという間に一日が過ぎます。

 夕方は、6時頃帰宅。雨が来なければ子供たちとテニスをすることも。夕食、新聞。日本の新聞はシンガポールで印刷されて午後配達されます。テレビは地元局のニュースをたまに見ますが、はっきり言って全然面白くありません。ケーブルか衛星放送でCNNやNHKニュースもありますが、ケーブルは故障、衛星は部屋の窓から受信できず、棚上げです。その分読書時間が増えています。

 夕食後、メールの読み書きで平均1〜2時間。前後して調査・原稿書き。資料を読み、まとめ、ネットサーフィンをし。すぐに12時、1時になります。なぜ仕事って尽きないのでしょうか?  平均週に1回外食。日本人ビジネスマンとが大半。予算はRM50〜100ほど。タクシーでせいぜい30分、RM10、300円程度。

 家族は、妻は日常の買物の他に、YMCAのボランティアとか英語教室に出かけます。上の子は私の事務所の手伝い。次の子は高校2年でインド系マレー人が校長をしている小さなインターナショナル・スクール。ほとんど寺子屋の雰囲気で、英語の特訓が続きました。下の子は中学1年で日本人学校へ。二人ともスクールバスで通います。

 週末は昼食をはさんで買物。デパートやスーパー。ときに近くの日本人クラブに寄って日本語の本を仕入れます。文庫の古本がお買得です。車は、家族が多いので7人乗りのワゴン。トヨタのライトエースで、新車でRM5万1千。買ったときのレートで250万円。いまなら150万円! 日本だと数年前のモデルで、東京で乗っていたのとほぼ同じでした。ガソリンは統制料金でどこでもリッターRM1.1、日本の3分の1以下。

出張と旅行

日本にいたときから、出張が多いのが私の仕事の特徴。日本へは5月から平均月に1.5回出張しました。会議、研究会、講演、報告・相談など。JALの徹夜便にもずいぶん慣れました。予算がなくてビジネスクラスに乗れなくても大丈夫。空いていればエコノミーの中央座席を4人分占拠してゆっくり寝られます。

 6月はモンゴルで会議、7月からシンガポールには日帰りも入れて何回も出かけ、10月タイ、12月インドネシアにそれぞれ小規模な調査に足を運び、ついでに週末は家族と観光も楽しみました。家族は1年で帰るので、せっかくアジアに来たのだからと、せっせと歩いています。東海岸のチュラティン、バンコック、シンガポール、バリ島、パンコール島などを回りました。子供のときに自分の知らない環境の国、文化、人間が住んでいるところがあるということを体験しておくのは貴重なことだと思い。円に比べての現地通貨の下落をエンジョイしながら、複雑な気分になります。

経 済

ご承知のように、7月のタイの通貨危機から始まって、アジアの「タイガー」経済は一気に下り坂に向かいました。マレーシア通貨のリンギット(RM)は、一昨年移動を決めたころには1RM=42円位だったのが、実際に引っ越した4月には50円を越え、一時は53円近くまで上がりました。収入のほとんどが日本の企業・組織から、それも円建てでの契約なので、もっと円が安くなったらどうしようと思っていたら、リンギットが急落。8月には40円を切り、1月にはとうとう30円割れ。この水準が続けば当座は楽です。

 しかし、対米ドルで40%以上も下落している通貨と、同じく急落したままの株式市場で、経済不況が深まっていることは否定できません。東南アジア全体の経済が低迷し、日本も景気が悪化しているだけに、私のビジネス環境も、これからはかなり厳しい状況が来るぞと、覚悟はしています。

アウトプット

いちばんよく聞かれ質問は「何を収入の源にしているのか?」です。基本は「研究調査」です。具体的には、「アジアインターネット研究会」という会員制研究会をつくり、企業・個人の皆さんに会員になっていただき、その年会費を大黒柱にしています。これまで勤めてきた国際大学GLOCOMとハイパーネットワーク社会研究所の両組織の研究員も兼任し、そこからも支えられています。  研究活動の成果は、報告書、報告会、メーリングリストでのニュースなどの形で「アウトプット」にしてお届けしています。その作成のための調査・執筆・編集に多くの時間を割いています。

 最初に地元マレーシア政府が強力に推進する情報化による新しい国づくりプロジェクト「マルチメディア・スーパーコリドール(MSC)」について調べ、7月末にKLで「MSCフォーラム」という有料セミナーを開き、資料を配布しました。7月から9月にかけてシンガポールに3回出張し、「シンガポールONE」という国家情報化プロジェクトの現状を調査し、9月に報告書にまとめました。その後、MSCについてさらに詳しい調査を行ない、予定よりだいぶ遅れて、年末にようやく報告書がまとまりました。  これらの報告書は「アジアインターネット研究会」の企業・組織会員・個人会員の皆様にお届けしています。ただし会員外の皆さんにもご希望があれば有償でお頒けしています。価格は相当「高い」のですが、年会費を頂いている会員の皆さんとのバランスを取るためだとご理解ください。

 いま暫定的に言えるのは、どのプロジェクトも、本当に成功するためには相当の努力が必要であること、まさにそうであるだけに、日本からみると学ぶべきことの多い「先進事例」だということです。

 「経済情勢が悪化しているから成功は難しいのでは?」、「人材も資本も技術も不足しているマレーシアでMSCなんてとても無理だ」という日本からの指摘には十分耳を傾ける必要があると思います。しかし、ひるがえって日本の情報化の実質、情報産業の実力、国全体の方向などを、離れているところから見ていると、GNPの水準ほどの開きがあるとはとても思えません。 世界一豊かになったと錯覚して慢心したことのツケを、日本人は今後数十年間払い続けなくてはならないのではないでしょうか? アジア経済はよく雁行モデルと言われますが、情報社会への飛翔という点では、どうやら先頭は日本よりも他のアジアの国になってきた感じが強くします。

 10月にタイへ、12月にインドネシアへ、それぞれ短い調査旅行を行ないました。アジア各国のなかでも経済危機がもっとも深刻な両国で、インターネットのビジネス利用、プロバイダーの などを調べようと思ったからです。情報政策関連の動向も調べています。前後にインターネットを使い、出張を組合わせるのですが、なかなかそれだけでは満足のいく結果が出なくて苦労しています。当たり前ですが、もっと工夫が必要だと痛感しています。この結果は、遅くも3月までにまとめたいと考えています。

 研究調査にあたっては、できるだけ通常の報道や調査では出てこない問題点を掘り下げ、分析するよう心がけています。そのためには、自分自身で常に強い問題意識をもち、意見をぶっつけ、議論する必要があると思っています。「客観的な調査」より、主体的な意志と問題意識をもった実践的な研究活動をめざしています。 会議へのコミット 各種の会議にもコミットしてきました。日本での会議が多かったのですが、6月はモンゴルで、PAN(Pan Asia Networking)によるアジアの途上国のインターネット利用を普及・育成するための会議にボランティアで参加しました。ベトナム、カンボジア、ネパール、ブータン、ラオス、バングラデシュなど、経済水準ではまだこれからという国で、政府や民間でインターネットを広げようとしている人たちに、インターネットの意義、技術の本質などを本格的に伝え、先導するという貴重な会議でした。

 9月にはシンガポールで毎日新聞社の主催で開かれた「アジアの情報革命」シンポジウムのパネル討論に参加しました。開かれた分散ネットワークであるインターネットの本質と、どちらかといえば集権的・閉鎖的にネットワークを構築しようとしているシンガポール型インフラとのギャップを指摘してみました。通常政府批判は歓迎しないシンガポール人ですが、意外とポジティブな反応が返ってきました。

 11月には、二年に一回開いてきた「ハイパーネットワーク別府湾会議」を、別府と湯布院で開きました。「CAN(コミュニティ・エリア・ネットワーク)の構築」を主テーマに、米国バージニア州のブラックスバーグと、コロラド州ボルダーの電子コミュニティづくりの先達をゲストに招き、大分のCOARA/ハイパー研での経験と、富山の山田村をはじめ茨城県など日本各地の地域ネットワークの発展の方向性を共に模索する会議でした。 視察・取材 日本からMSCの視察・取材に来られるお客様にお会いして説明するのも大事な仕事です。第一号は朝日新聞で前「ドアーズ」編集部の服部桂さんでした。日経BP社(『日経マルチメディア』、『日経コミュニケーション』、『日経コンピュータ』)、朝日新聞社会部、NHKと、マスコミの取材をお手伝いしました。

 4月に堀ノ内郵政大臣がMSC視察に来られたときには、ほんのすこし裏方をしました。その後日本パーソナルコンピューターソフトウェア協会、関西経済同友会、大分県経済界、長岡技術大学などのご一行がKLに来られ、サイバージャヤの工事現場やマラッカのマルチメディア大学などの訪問や懇親会に参加して、MSCの状況を説明しました。アジアの情報化に関心をもつ日本の大学生からも時々メールが来て、KLで会って説明することもあります。 インターネット 日本にいるときは、職場も自宅も専用線環境で、快適に使っていたインターネットですが、KLではダイヤルアップ。サービス・品質で改善点が多々あり、良い勉強をさせてもらっています。専用線の料金は高く、とても手が出ません。

 それでもネットのお蔭で、日本・世界で起きていることが、その気になれば瞬時に調べられ、遠いマレーシアでも不便という感覚はまったくありません。メーリングリストも活用しています。ビジネスとパーソナル用に複数のリストを主宰し、継続的な交流を維持しています。興味のある方、どうぞご一報ください。KL日本人会に「ネットワーク研究会」という同好会があり、月例会で集まっています。昨秋から幹事役を拝領し、メーリングリストも始めました。

今年の課題と抱負

今年は経済が相当厳しくなると思います。なにより、収入源である研究会の会員の維持・契約の継続・拡大が課題です。それにはお客様に満足していただけるアウトプットを、質、量、タイミングを揃えて出すことが最大の課題です。日本とアジアの経済情勢が混迷するなか、日本からの投資にブレーキがかかっているのは事実です。2、3年先のリターンを期待すれば、今が「底」で好機だと思います。そう証明できる材料を集めたいと思っています。ホームページも充実させたいと思っています。

 マレーシアの現地のネットワーク関連の人々との交流もまだ浅いのです。日本人とのお付き合いが先行しがちです。マレー語はまったく手がつかず、仕事はすべて英語で済むこともあり、出張ばかりで地元にいる時間も短く、日常レベルでのおつき合いがあまりできていません。  アジア各国にもっと足を運び、顔をつなぎ、事情を理解できるようになりたいと思っています。特定のプロジェクトへのコミットも必要と感じています。  MSCも、実現段階に入るにつれ、現実の課題が増えています。シンガポールONEもそうですが、通信インフラの構築、次世代の高速ネットワークづくりという点で、世界中に共通する課題を抱えているのは事実で、実用レベルでエンドユーザーの利益につながる貢献ができればと考えています。

 そこに日本の地域ネットとの共通課題もあると思います。COARA、ハイパーネットワーク社会研究所を軸に、大分とアジアをつなぐことも大きな課題です。今年9月にMSC内にマルチメディア大学が、2000年には別府に立命館アジア大平洋大学がそれぞれ開設予定で、その間に架け橋をと願っています。

 1月から、アップルで長く教育分野のマーケティングに取組み、GLOCOMと共同で「めでぃあきっず」という学校間ネットワークづくりを推進してきた内村竹志さんが新戦力としてANRに加わり、アシスタントの久保田香子さんと相俟って、「一人相撲」でない調査研究体制にしていきたいと思っています。

 2月にはマニラでAPRICOTとAPNGというアジアのインターネット関係の会議が開かれます。3月10日、東京で開かれる日経新聞主催の国際会議「世界情報通信サミット」では、事前のオンライン会議を含めて企画・運営のお手伝いをしています。6月はシンガポールとストックホルム、7月はジュネーブで、それぞれ開かれるネットワーク関係の国際会議への参加・発表を予定しています。

 というわけで、のんびりペースの中にも忙しくなりそうです。マレーシア方面においでになる機会があればぜひ声をかけてください。また、ANRの研究活動に協力していただける可能性のある研究者(およびその卵)の方、ネットワークをつくりたいのでぜひ連絡ください。

 最後になりましたが、皆様には本年も変わらずご支援・ご指導を、どうぞよろしくお願いいたします。

会 津 泉

アジアネットワーク研究所 代 表

ハイパーネットワーク研究所・国際大学GLOCOM

izumi@anr.org

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